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人の運命なんていうものは誰にもわからない、 そこに人生の悩みがあります。 第2作『続男はつらいよ』から 「天に軌道のあるごとく、人それぞれに運命というものを持って生まれ合わせております」。これは第2作『続男はつらいよ』で、京都は嵐山、渡月橋のほとりで易断本を売る、寅さんの口上です。 この京都で寅さんは恩師・坪内散歩先生(東野英治郎)と一人娘・夏子(佐藤オリエ)と再会。寅さんは散歩先生に、生みの母が京都にいること、会うべきかどうか迷っていることを相談します。寅さんはかつて柴又にいた芸者・お菊と、父親 … [続きを読む] |
惜しまれて、引き止められるうちが花ってことよ。 第2作「続男はつらいよ」から 第2作『続男はつらいよ』は葛飾商業時代の恩師・坪内散歩先生(東野英治郎)と寅さんの心の交流が描かれています。 学校時代、手の付けられない不良だった寅さんと、生徒の人間性と人との関わりを大切にしてきた散歩先生との再会は、映画で描かれていない少年時代の寅さんの姿を、ばくたちにイメージさせてくれます。 一年ぶりに柴又に帰ってきた寅さんが、幸せそうに暮らしているさくらたちに安心して、すぐに旅に出ようとします。その理由が、お茶の一杯 … [続きを読む] |
気象庁は25日、8月までの「暖候期」の予報を発表した。 夏(6~8月)は全国的に昨年のような記録的猛暑にはならない見通しで、北日本(北海道、東北)では冷夏の可能性もあるとみている。 梅雨の降水量は全国的に平年並みと予想。春(3~5月)は、ほぼ全国的に気温、降水量ともに平年並みとしている。 × × ドンピシャリと当たると思っています。 |
お嬢さん、お笑い下さいまし、 私は死ぬほどお嬢さんに惚れていたんでございます。 第1作「男はつらいよ」から 寅さんは、意中のマドンナに直截的に愛のことばを伝えることはありません。恋愛感情を胸に秘め、自分から何かを求めることは決してないのです。 そんな寅さんが、その恋慕の思いをモノローグですが一度だけ、ことばにしたことがありました。 第1作『男はつらいよ』で、久しぶりに再会した幼なじみで、御前様のお嬢さん・坪内冬子(光本幸子)に恋をした寅さん。妹・さくらの結婚式を終えて、どこか心にぽっかりと穴があ … [続きを読む] |
おまえと俺とは別の人間なんだぞ。 早え話がだ、俺が芋食って、 おまえの尻からプッと屁が出るか! 第1作「男はつらいよ」から 寅さんは16歳のときに、父親と大げんかして、プィと家出して20年、故郷柴又に帰ってきませんでした。その間、どんなふうに生きてきたのかは映画では描かれていません。しかし、寅さんの言動、旅先で見せるふとしたしぐさ、人への接し方から、その人生の旅で身につけたポリシーをうかがい知ることができます。 例えば、第1作『男はつらいよ』で、妹・さくらに恋をした諏訪博(前田吟)と寅さんが、江戸川の河川敷に置か … [続きを読む] |
「苦労かけたなぁ、ご苦労さん」 第1作「男はつらいよ」から 寅さんは、懸命に生きている人に素直に「ご苦労さん」と言える人です。 寅さんは、袖すりあうも多生の縁を大切にして、出会った相手の話に耳を傾けます。「そうかい、大変だったねぇ」と。苦労はその人のものですが、寅さんは、相手の立場や気持ちに寄り添って「ご苦労さん」のことばをかけるのです。 第1作で、寅さん16歳で家出して以来、20年ぶりに葛飾柴又に帰ってきたのが、帝釈天題経寺の庚申の縁日でした。題経寺の記録によると、1969年4月15日の庚申の日に撮影されたそうです。 寅さんは、威勢よ … [続きを読む] |
私、生まれも育ちも葛飾柴又です。 帝釈天で産湯を使い、姓は車、名は寅次郎、 人呼んでフーテンの寅と発します。 「男はつらいよ」各作から これはフーテンの寅さんこと車寅次郎の口上です。その生業は、縁日や大道で商売をする露天商で古くから香具師(やし)、的屋(テキ屋)と呼ばれてきました。その世界ではこの挨拶を“仁義を切る”と言い、互いを名乗り見知るためのものでした。 映画『男はつらいよ』が公開されたのは1969年8月27日。その原点は68年10月から翌年の3月にかけ、フジテレビ系で同名のテレビドラマ(全26回)です。 原案と脚色の … [続きを読む] |
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