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2008年11月29日(土) 



(3)「政府」とは諸外国では「省庁」迄ですが、日本では「基幹産業企業」迄含まれるのです。日本の「基幹産業企業」の経営担当役員に官僚の意向を無視して自由な経営戦略策定が可能だと思いますか?「政官業癒着」と言うシステムを介して「官」の意向が「業」に「上意下達」されているのです。日本人にとっては何事につけ「上と見るか、下と見るか」の判断が大切です。「みんな、仲良く」と口ではいうが、実際には、序列なきところに礼儀なしとなっています。それというのも、日本人の礼儀は、序列作法だからであります。
「下におれ、下におれ」と相手に号令を掛けるのが好きなようです。
階称ありで人称なしの日本語は日本人気質の根源となっているのかもしれません。気分・雰囲気しだいで、態度が大きくなったり小さくなったりしています。
日本人の序列は階称 (言葉遣い) により作られて、日本人の間で序列に関する状況証拠により強固に保たれています。だが、英語には階称はありません。

未来構文の主語が第一人称である場合に、本人の意思を表します。
意思 (will) は、未来構文 (未来時制) の内容です。だがしかし、日本語には時制 (tense) がないので、未来構文はありません。人称がないので、第一人称の主語もありません。
意思に関する文章を作らない日本人は、意思薄弱にみられます。以心伝心を旨とするアニマルに近いものを利用しています。
日本人には、意思はないのですが、恣意 (self-will) があります。恣意は、私意・我儘・身勝手などと呼ばれ、理性のないアニマルや子供に見られるものです。アニマルの場合は調教により是正され、日本人の場合には滅私奉公により鍛えられてきました。滅私を禁止すると、自由意思の代わりに自由恣意が顔を出してくる。これを自由の履き違えといいます。こうした事情が自由を享受する資格のない日本人の問題点です。

責任 (responsibility) とは、自分の引き受けてなすべき任務と考えられています。リスポンシビリティは、応答可能 (responsible) なことであり、意思のある人間にその解決方法を求めています。
意思がない世界における責任は、アニマルのように与えられた役割をただただし終えることとなります。
肥田喜左衛門の著した <下田の歴史と史跡> には、責任に関する下のような事柄が記されています。

徳川5代将軍の治世、佐土原藩の御手船・日向丸は、江戸城西本丸の普請用として献上の栂 (つが) 材を積んで江戸に向かった。遠州灘で台風のため遭難、家臣の宰領達は自ら責を負って船と船員達を助けようと決意し、やむをえず御用材を海に投げ捨て、危うく船は転覆を免れ、下田港に漂着した。島津家の宰領河越太兵衛、河越久兵衛、成田小左衛は荷打ちの責を負い切腹する。これを知って船頭の権三郎も追腹を切り、ついで乗員の一同も、生きて帰るわけにはいかないと全員腹をかき切って果てた。この中には僅か15歳の見習い乗子も加わっている。鮮血に染まった真紅の遺体がつぎつぎに陸揚げされたときは、町の人々も顔色を失ったという。16人の遺体は、下田奉行所によって大安寺裏山で火葬され、同寺に手厚く葬られた。遺族の人たちにはこの切腹に免じて咎めはなかったが、切腹した乗組員の死後の帰葬は許されなかった。
(引用終り)

意思の無いところに自由意思 (voluntary) は考えられなく、真の自由 (liberty) も想像できません。意思の内容が見当たらないのであれば、ボランティア (自由意思に基づく人の) 活動の重要性なども理解できません。

無哲学・能天気の人は何も考えない。このような日本人に対して行動を起こさせるときは掛け声をかけ気合を入れる。自己の意思決定もなく、行動は単なる拍子ものとして開始される。気合・掛け声と共に行動に踏み切ることのできない個人は、文弱ということになり、仲間内の間で面目を失うことになろう。

英米の真似事としてのボランティア活動の奨励は、意思そのもののない人たちには半強制的な勤労奉仕と変わるところがありません。だから、個人主義も成り立ちません。その意味で我が国は「偽りの自由主義国家」です。

(4) 「あるべき姿」の内容を未来構文で表現し、「今ある姿」を現在構文の内容として考え、両者を比較した上で現実対応の方策を割り出すことの出来る人は、物事を理解しているといえます。
「今ある姿」の世界の指導者となる人は、「あるべき姿」の内容を提示して、その現実対応策を説明する必要があります。 
物事を理解している人の答えは、リーズナブル (reasonable) になります。各人がリーズン (理性・理由・適当) のある答えを持ち寄って比較すれば、建設的な議論が可能です。
リーズナブルな答えには、相手を説得する力があります。
「あるべき姿」と「今ある姿」の両者の比較検討ができなければ、ただ物事を知っているというだけのことになります。このような人は、議論が出来ません。どんぶり勘定で結論を出すことになる。あえて議論を試みると、不毛の議論となります。

キリスト教やマルクス主義 (反キリスト教) は、「あるべき姿」という非現実の内容であります。この内容から導きだされる現実対応の方策は現実オンリーの考えしかない日本人にとっては、対応不能となります。つまり、話にならない。だから、これらの主義・主張は日本人にとっての危険思想ということができます。

仏教はインド人の哲学で、現世・前世・来世の内容がある。人が死ぬと、その人はまた生まれ変わるので、インドでは墓は要らないのだそうです。以前は、死体は川に流したといわれています。
前世と来世の内容は、非現実の内容です。ヒンズー語の時制あるこのような考え方を日本人が学ぶのは、非常に難しい。現実離れしているからです。だが、時制のない中国語に一度翻訳もらって学ぶのであれば、より身近なものになる。この時点で、時制のある考えは、時制のない考え方に変身する。中国語には時制がないので、中国人の考えは日本人と同じく、現実オンリーの内容です。仏教は中国人の手を経て彼等の祖先崇拝と結びつたので、わが国の仏教は葬式仏教となった。中国の聖人である孔子は、奇怪なこと、勇力のこと、乱倫のこと、神秘なことを口にのせて主張することがなかったといわれている。彼は前世と来世の非現実に関する内容を語らなかった。この点で、日本人には、理解しやすい教えであった。

かの有名なW.チャーチルの <第二次世界大戦回顧録> の中には、以下のような日本人の描写が記されています。

日本人は無理な要求をしても怒らず、反論もしない。笑みを浮かべて要求を呑んでくれる。しかし、これでは困る。反論する相手をねじ伏せてこそ政治家としての点数があがるのに、それができない。
 それでもう一度無理難題を要求すると、またこれも呑んでくれる。すると議会は、今まで以上の要求をしろと言う。無理を承知で要求してみると、今度は笑みを浮かべていた日本人が全く別人の顔になって、「これほどこちらが譲歩しているのに、そんなことを言うとは、あなたは話のわからない人だ。ここに至っては、刺し違えるしかない」と言って突っかかってくる。
 英国はその後マレー半島沖で戦艦プリンスオブウェールズとレパルスを日本軍に撃沈され、シンガポールを失った。日本にこれほどの力があったなら、もっと早く発言して欲しかった。
 日本人は外交を知らない。(引用終わり)



Professor Terashima is an accomplished scientist but also an acutely observant philosopher and sociologist whose critical ideas are deeply penetrating. What he writes will give his readers much cause for reflection. His contribution is that he articulates through carefully structured analysis what the Japanese have for a while but only vaguely suspected about themselves.

沖縄県立芸術大学教授 A. P. Jenkins



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閲覧数563 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2008/11/29 14:02
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