その昔、掛川の祭りは衣装祭りだったと聞く。 僕はいつの頃からかは知らないが、法被を纏っての祭りとなった筈だ。 それが最近チョイと異変が起きている。 法被?の前を和服よろしく合わせて着ている御仁をよく見掛ける。 祭り半纏は合わせて着るものだが、法被は合わせるものではない筈だが…。 浅学非才の俺が余り講釈垂れると、色々な筋から反論されるのは明らかなので深追い?するつもりはサラサラ無いが、チョイと気になって仕方がない。 それと以前は法被の下には『法被下』なるものを着ていた。老若男女問わず、法被下はド派手な柄のもので、皆さん同じデザインの法被の下で個性を競っていた筈。 それがいつからから知らぬが、先の半纏同様に増殖したのが肉襦袢なるもの。 半纏スタイル、肉襦袢共にテレビで観る関東のお祭りの影響か? いつの日か屋台が消えて御輿を担ぐ様になってしまうのではないかと、要らぬ心配をしておく。 追伸 屋台を引き回す時の掛け声?も以前は『そりゃそりゃ!』だの『それそれ!』何て言っていなかったぞ。 『ひっちゃやれ!』これが昔の掛川祭りで聞かれた掛け声だった。 |