荒川三山・赤石岳行程表 畑薙第一ダム 8:00 → 椹島ロッジ9:15→ 清水平12:50 →見晴台13:50 → 千枚小屋16:15 千枚小屋4:50→千枚岳(2,880m)5:50→ 丸山(3,032m)6:45 →悪沢岳(3,141m)→ 中岳非難小屋8:45→ 中岳(3,083m) → 荒川小屋10:30 → 大聖寺平 → 小赤石岳(3,081m)12:10 → 赤石岳(3,120m)12:50 → 富士見平14:35 → 赤石小屋15:10 → 赤石小屋5:50→椹島ロッジ9:30 荒川三山・赤石岳に10月1~3日に行って来ました。1日、午前4時に家を出て、畑薙第一ダムの臨時駐車場へ7時半頃着く。8時の東海フォレストのバスに乗り椹島ロッジに9時に着く。9時15分から千枚小屋に向け登山開始。 途中、韋駄天太郎さんの登山記と同じように「何でこんなことをやっているのだろう。」と思うこともあり。また、登山杖を見て「登山杖とは平坦では持って歩くのが面倒であるが、坂では必要である。妻と同じようのものだ。」と思ったりした。 一人で黙々と歩くだけであり、道に迷わぬよう、木、岩のマークを見落とさないよう注意して登って行く。また途中で「このマークさえ人の目印となり、人に道を教え安心を与えている。自分は人の役にたっているのか。いや、どこかで自分も何かの役に立っているはず。」と自問自答していた。一人とも会わず7時間程歩いて千枚小屋に着いた。道中心細かった。途中足がつりそうにもなったが何とかこらえた。22人の宿泊者がいた。登る途中 千枚小屋(建設中) 月光荘2日、午前4時50分に千枚小屋を出発。千枚岳に向かう。途中朝焼けの富士山を観る。素晴らしかった。風が大変強かった。気温は氷点下である。地面は霜柱が5cmの高さで出来ている。千枚岳から丸山に向かう。風が大変強い。陽は出ていない。風で身体が飛ばされそうであった。千枚岳付近から悪沢岳を過ぎた頃から陽が出てきて、多少暖かくなった。中岳非難小屋では小屋終いで管理人が片づけをしていた。その管理人が「無理な行動はやめてゆとりある行動をしろ。この天気では怪我をしてもヘリコプターも来れない。夜間は当然氷点下であり凍死してしまう。」と注意された。中岳非難小屋中岳頂上から中岳を過ぎ、前岳には寄らず荒川小屋に10時30分に着く。先ほどの中岳非難小屋の管理人の話と足がつりはしないかと、赤石岳にこのまま行くか、体力を整え明日に行くのが良いのか大変迷った。荒川小屋から赤石岳に向かうパーティー8人がいた。そのため、それについて行くことにした。足がつっても誰もどうしてくれる訳でもなく、自分の責任で何とかして下山しなくてはならないのだが。荒川小屋大聖寺平では風に吹き飛ばされそうになる。小赤石岳に12時10分、赤石岳に12時50分に着く。必ず登ってみたい山、赤石山脈の語源となった山に登れ何となく感激した。しかし、風が大変強く頂上にいたのはわずか5分ほどであった。小赤石岳頂上から赤石非難小屋赤石岳頂上からその後、赤石小屋に向かって下山。赤石小屋に着いたのは15時10分であった。12人の宿泊者であった。富士見平から赤石小屋山小屋の食事は10年前に比べればはるかに良くなっていると感じた。夕食後知らないもの同士が話をした。荒川小屋の主人も風呂を借りに来ていた。赤石非難小屋の主人も小屋終いをして本日は赤石小屋に泊まり明日下山するとのことであった。その奥さんもいて、主人に明日事業所に今シーズンの報告書を提出するため、非難小屋の収支報告書を作らせようと人前のためか丁寧にお願いをしていた。主人の方はお酒が入りヨレヨレであった。その非難小屋の夫婦は2階にあがり収支報告書を作成したようであるが2階では奥さんにコッテリと主人はやられてるなあと推測できた。足のつること、足の痙攣のことについて聞いてみたら、この登山者の中にも足がつる人がいて、漢方薬のツムラの68番シャクヤクカンゾウトウが良く効くそうで山に登るときはこの薬をいつも医者に出してもらっていると教えてくれた。自分もこれからはそうしようと思った。午前5時朝食。5時50分赤石小屋出発下山しながらまた山って何か考えた。 歩いて行くのが山登り。見上げていても時間だけが過ぎていく。 山登りには危ないこともある。それを乗り越え爽快感がある。 下山し終えて達成感が湧く。 そんなもんかなあと思った。9時30分に椹島ロッジに到着。 椹島ロッジでシャワーを借りた。登った山赤石岳10時30分 畑薙第一ダムの臨時駐車場行きのバスに乗る11時30分 畑薙第一ダムの臨時駐車場に着く自家用車で帰宅する途中、川根本町資料館やまびこを見学し昔の山の生活が見れた。また、井川線接阻峡温泉駅すぐ前の接阻峡温泉に入る。大変良い温泉であった。5時頃家に着いた。