今回の京都旅行の主な目的は①妙心寺(山内一豊公とお千代さんの墓がある大通院)②本能寺(現在地と本来の場所)③方広寺(国家安康の鐘銘の確認)④豊国廟(豊臣秀吉公の墓)⑤養源院(淀殿が浅井長政、久政の供養のため創建)でした。妙心寺は約10万坪の敷地の中に38の塔頭寺院(院)があり一般公開している寺院、期間限定公開している寺院があります。○○院というのは特定の方を供養しているため、一般の方が常に拝観できる訳ではありません。案の定、一豊公、お千代さんの大通院は外側からのお参りになりました。妙心寺内には今回特別公開している寺院がいくつかあったので、それらについては見学させていただきました。本能寺については実際に「本能寺の変」があった場所と、現在の場所ではかなりの距離があります。徒歩で約30分近く掛かりました。現在の本能寺には信長公の廟の横に、一緒に討ち死にした森蘭丸など家来の墓もあり、何か生々しい気分になりました。当夜の行事なども例の富士宮の首塚伝説に近いこともわかってきたので、纏めていきたいと思います。方広寺の鐘は大坂の陣の契機になった文字がはっきりわかって、大満足でした。ところがこの場所にも観光客は全く来なかったです。秀吉公の霊廟についても地元のウオーキンググループだけで、他に誰もいませんでした。という事は最後の目的地「養源院」はもっとマニアックだったかもしれません。天井板は関ヶ原の戦いの前哨戦で、鳥居元忠とその家来が自害した血に染まった廊下の板です。こんな血生臭いお寺に来る人も、あまりいないのでしょうか?ここで一つ勉強になったことがあります。床板は左甚五郎作の「ウグイス張り」だったのですが、ウグイス張りは忍び足になるほど音が大きくなる、即ち「忍び除けの警報」だったという事です。最初の日は2万歩、翌日は1万7千歩でした、起伏が激しかったので、久しぶりの筋肉痛で唸っています。