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2013年03月14日(木) 
昔から「武器庫」と呼ばれてきた建物の解体が行われています。
かなり老朽化が進み、ひと揺れすれば全壊と言った風貌でした。



すでにかなり解体が進んでいて、竹と利平さんたちが造ってくれた竹垣も取り外されてしまいました。
通勤途中の建物なので、すっかり取り壊された姿を想像すると一抹の寂しさを感じてしまいます。



ところで「武器庫の怪」ですが、本来は何のために建設された建物なんでしょうか?
古地図(安政の地震)を見る限り武器庫の建っている場所は、掛川城の内堀の上です。
それも割と近代的な建築物です。

一昔前までは近隣の自治会の会合でも使っていたということです。
なぜ「武器庫」と呼ばれてきたのか、ご存知の方があったら教えてください。

閲覧数1,101 カテゴリ日記 コメント2 投稿日時2013/03/14 21:01
公開範囲外部公開
コメント(2)
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  • 2013/03/16 08:35
    はじめまして

    武器庫と呼ばれ、当初、歴史資産価値があるとかないとか...

    市が管理するとのことでありましたが、結局は歴史資産価値がないとのことで、取り壊しが決まったみたいです。

    それを考えると、武器庫となったのは、その時代ではなく、もっと後の時代になってからではないでしょうか?

    あくまで、私の勝手な推測ですけど...

    解体後、ここは、市営の駐車場になるようですが、観光客が増え、活性化されるのはいいことですが、狭い地区内、安全には留意してもらいたいなって思います。
    次項有
  • 2013/03/16 20:19
    鉛筆shinobiさん
    くろすけさん

    情報ありがとうございました。
    私も武士の時代の「武器庫」が残っていたら歴史的な遺産ではないかと、最初の頃は思っていました。
    建物がそれらしい風貌であれば、おそらく今でも信じていたことでしょう。
    次項有
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