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2013年05月31日(金) 
昨日は岡崎から吉良町に行き吉良上野介の墓参り、そのあと刈谷の弟の家に泊まりました。

すぐ近くに椎ノ木屋敷跡があるので、朝食前に散策してきました。
於大の方は徳川家康公の生母であり、掛川城主松平隠岐守定勝公の生母でもあります。


閲覧数1,721 カテゴリ日記 コメント4 投稿日時2013/05/31 08:44
公開範囲外部公開
コメント(4)
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  • 2013/06/01 21:12
    於大様といえば戦国の世で大変なおもいをされた方ですよね。
    家康も自分は人質になり母は離縁されていく・・・
    もう一度於大様に関係した本を読んでみたくなりました。
    次項有
  • 2013/06/02 10:31
    鉛筆shinobiさん
    みつちゃんさん

    於大の方は家康公の生母でもありますが、久松俊勝と再婚した後のお子様たちは掛川城との関係も深いです。
    江戸時代最初の掛川城主「松平定勝」はその子供であり、定勝の長女「松尾姫」は3代目服部半蔵の妻、次女「阿姫」は、土佐に行った山内一豊公の2代目「忠義公」の妻になっています。
    定勝の二男定行は伊予松山藩祖、三男定綱は桑名藩祖に出世しています。

    掛川古城址に徳川家光の霊廟を建立したのは、定勝の妹の子供にあたる方で於大の方の孫に当たります。
    次項有
  • 2013/06/03 14:30
    ありがとうございます。

    だんだんと奥が深そうですね。
    勉強になります。
    これからも教えてくださいね。
    次項有
  • 2013/06/03 19:54
    鉛筆shinobiさん
    みつちゃんさん

    私も最初はそれ程興味はなかったのですが、だんだんとはまり込んでいきました。
    実はお客様からの質問があって調べて行くうちに視界が広まったという訳です。
    次項有
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