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2013年11月20日(水) 

日本人の生活は、年中行事の繰り返しである。我々は、どこにも行かない。安心できる変化しない社会。これが、天下泰平の世の中である。
欧米人は、我々とはメンタリティが異なっている。どこに行くかを考えている。決して現在の世界に満足していない。新しい世界を語り合い、その実現に希望をわかせている。

来るべき (非現実の) 世界は、未来時制の文章の内容として確実に存在する。だから、英米人は真面目に話す。
来るべき世界は、時制のない文章 (日本文) の内容としては、この世における真っ赤なウソになる。だから、日本人は真面目になれない。子供にでも理解できる漫画・アニメの次元にとどまっている。
日本語には、過去時制や未来時制の文章がないので、過去や未来に関する日本人の発言は出鱈目になる。意味もなければ、矛盾を指摘することもできない。誰も当てにはしない。日本の鬼も笑い出す。

私の知り合いの国際交流協会の会長は、アメリカ人について次のような感想を漏らしていた。
‘彼らは、金勘定には厳しいが、割と寄付には金を出すのだなあ。’

英米人は、自由を求める。だが、日本人は、不自由を常と思えば不足なし。
意思のある英米人社会には自由の許される余地がある。恣意の日本人社会には自由の余地がない。恣意の自由には滅私奉公で対処しなくてはならない。意思のない社会では、’自由のはき違え’ は避けられない。

意思は、未来時制の文章内容である。意味もあれば、矛盾もあれば指摘できる。議論になる。
恣意は、文章にならない。意味もなければ、矛盾もない。議論にならない。
恣意の人たちが物事の決着を図るのには、談合を使う。
以心伝心の方法により腹の探りあいをする。阿吽の呼吸法で決着する。
筋がないから、公の席での説明責任が果たせない。単なる、成り行きと、事の次第だけでは子供の説明になってしまう。
だから、日本人の内向き姿勢と隠蔽体質は避けられない。

脱原発はすぐにはできない。誰がやってもすぐにはできない。
‘すぐに、、、、、’ の話が脳裏に上るのは日本語の言霊のせいである。
時制の無い言語・日本語では、原発再稼働か、それとも脱原発かの二者択一の表現しかできない。理想と現実の両者を脳裏に蓄えることも難しい。
理想の境地に到達する長い努力の実現過程 (内容) には注意が集中しない。激論には、ただ二者択一の対立のみがある。問題解決のための知恵が出せないでいる。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
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閲覧数1,067 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2013/11/20 09:57
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