労働者には、マニュアル組とノン・マニュアル組があるという。
マニュアル組は手順書にしたがって正確に作業をする人たちである。
ノン・マニュアル組は、手順書を作る人たちである。未来の内容に矛盾があってはならないので、日本人には不向きである。
日本人は、教育の場において、‘失敗してはいけない’と強く言う。有無を言わせず型どおりに動作・考えを繰り返す練習をする。
マニュアル組の育成である。ノン・マニュアル組は育たない。
必要なものを自分自らの意思により手に入れるのが大人の態度である。自分自身のみならず、一家・国家・世界の責任者になる可能性がある。
他人の意思に従って行動するのが子供である。役人・使用人のようなもの。
手順所には未来の内容に矛盾があってはならない。
そのためには、文章が必要である。文章がなければ意味もなく、その矛盾を指摘することもできない。
未来の内容は、未来時制の文章で表現しなくてはならない。現在時制で表現すれば、それは真っ赤なウソになる。
ところが、日本語には時制がない。だから、未来時制もない。そして、未来に関する筋の通った内容もない。
このような状態では、上に立つ者は有効な指導力を発揮することはできない。
マニュアル組はノン・マニュアル組の耐え難きをたえ、忍び難きをしのばなくてはならない。
ジョン・ダワー博士は、予測下手な日本人のありさまを <敗北を抱きしめて>* の中で、以下のように述べています。
たしかに、資本家のほうが経済官僚より征服者を歓迎したということはあるであろうが、さしせまった敗北に具体的な計画をたてて備える、ということはどちらもしなかった。この意味では、この戦争に突入したときも、そこから這いでたときも、日本人はほぼ同じくらいぼんやりしていた。
1941年に真珠湾攻撃にでたとき、軍部や文官の指導者たちは、アメリカ合衆国の工業生産力についても、目前に迫る大々的な衝突がどのような道筋をたどるかについても、真剣に長期的予測をたてなかった。当時、東条首相は、「清水の舞台から飛び降りるしかないこともある」といった。戦争が終わったときも、エリートたちは、先の計画を立てることに関してはいい加減以外のなにものでもないことを自ら暴露した。戦争経済から平時経済への転換について、あるいは、平時経済とはどんなものかについて、真剣に考えた者はごくわずかだった。官僚も実業家も政治家もそろって、いまだに「清水の舞台」妄想のなかにいるようだった----映画フィルムの逆回しのように、なんとか後ろ向きにジャンプして、また清水の舞台に跳びあがれるだろう・・・・・。すべて、なんとかうまくいくだろう・・・・・。(引用終り)
*ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて 第二次大戦後の日本人 下 岩波書店 2004 p.346
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