夏になったら啼(な)きながら、必ず帰ってくるあの燕(つばくろ)さえも、 何かを境にばったり帰って来なくなることもあるんだぜ。 第21作『男はつらいよ 寅次郎わが道をゆく』から ぼくは子供のころから「男はつらいよ」に夢中でした。幸いなことに、映画館で映画を観ることが当たり前の世代の父母に連れられ、幼い頃から、銀座や浅草の映画館で数多くの映画を観ることができました。 昭和40年代半ばのことです。「男はつらいよ」封切の映画館は、たくさんの人々であふれていました。寅さんの一挙手一投足に満員の観客たちが声を上げて笑い、劇場が揺れるというと、大げさに聞こえるかも知れませんが本当にそんな感じでした。 2013年6月、文化放送の「続・みんなの寅さん」のゲストに、シングライクトーキングの佐藤竹善さんおいで頂いたのですが、ぼくと同じ昭和38年生まれの竹善さんも、青森で同じ映画館体験をされていたそうです。 竹善さんは、普段は、さくらの夫の博のように真面目で、厳しかったお父さんが「男はつらいよ」に声を上げて笑う姿がうれしかったと、話してくれました。 ぼくも父と一緒に映画館で観ました。夢中になったのは渥美清さんの立て板に水のような啖呵売(たんかばい)の文句です。小学生だったぼくは、寅さんの口上を覚えようと、懸命にスクリーンを見詰めていました。それに寅さん独特の言い回しです。例えば「さくら、そこのみどり取ってくれ」というギャグで、しょうゆを「むらさき」と言うことを知りました。 家族とかんかをした寅さんが、家を出るときに思わせぶりにこう言います。「夏になったら啼きながら、必ず勝ってくるあの燕さえも」と。寅さんは、ツバメと言わずにツバクロと昔の言い方をします。何のことかと、父に尋ねました。 映画の帰り道、教えてくれたのが西条八十作詞の「サーカスの唄」です。「旅のつばくろ、寂しかないか」というあの歌です。ツバクロは、ツバクラという言い方がいつしか変化したこと、戦前のサーカスには、わびしいイメージがあったことなどを話してくれました。 寅次郎少年も歌ったであろう哀愁をおびた「サーカスの唄」の「おれもさみしいサーカス暮らし」という詩に、なぜか寅さんの旅の孤独を感じたことを、よく憶えています。 × × 誤字脱字写し間違いあります。 |