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2014年04月26日(土) 
  俺はヒマだったらな、腐るほど持ってんだから。
  持ってねえのは金だけだい。
                第31作『男はつらいよ 旅と女と寅次郎』から
 寅さんの旅は「風の吹くまま、気の向くまま」です。寅さんに新幹線は似合いません。何度か乗っているようですが、苦手なことに変わりありません。
 その理由を第46作『寅次郎の縁談』のなかで「スピードが速すぎて、目が回るから」と博に言ったことがあります。
 博の父・ひょう一郎(志村喬)も第22作『噂の寅次郎』で、岡山に帰るときに「歳(とし)をとるとな、早い乗り物に乗ったってしかたないんだ。別に用があるわけじゃないし」と博に話しています。
目的地への移動ではなく、そのプロセスを味わうのが「寅さんの旅」です。便利になるほど、失ってしまう大切なものがある。それがひょう一郎の「別に用があるわけじゃない」ということばに表れています。
 「男はつらいよ」シリーズがスタートして、次々と作品がヒットしていた1970年代はじめ、当時の国鉄が「美しい日本と私」というテーマで、「ディスカバー・ジャパン」キャンペーンを展開していました。高度経済成長にかげりが見え始めた頃にはじまった「男はつらいよ」のヒット背景には、日本の風景を再発見しようという「ディスカバー・ジャパン」ブームもあったと思います。
 周遊券を手に鈍行列車の旅をする若者たちは、寅さんの「風の吹くまま、気の向くまま」に共感したに違いありません。高度成長から、低成長時代へと、世の中は様変わりしても、寅さんの「旅のポリシー」は変わることありません。
 本編のことばは、第31作『旅と女と寅次郎』で、新潟県出雲崎から佐渡島に帰る漁船に、寅さんが同乗させて貰うときのせりふです。船長(山谷初男)の「時間がかかるぞ」に、寅さんは「ヒマだったらある」と答えます。これぞ寅さんの旅の神髄です。
 そこで「私も乗せてくれないかな」と声をかけて来るのが、失踪中の人気歌手・京はるみ(都はるみ)です。多忙な日々で自己を見失っている彼女と寅さんがこうして出会います。もちろん寅さんは彼女が何者かは、知る由もないのですが・・・・・・。
 ×           ×
 誤字脱字写し間違いあります。
博の父・飈一郎の漢字が化けてしまうのでひらがなにしました。

閲覧数1,278 カテゴリ日記 コメント4 投稿日時2014/04/26 12:14
公開範囲外部公開
コメント(4)
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  • 2014/04/26 19:56
    志村喬さんも素敵な役者さんでしたね。
    落ち着いていて威厳のある方でしたね。
    このシリーズを知ってるということは私も年齢を重ねたと思わず
    笑ってしまいました。
    いい脇役が多かったですね。
    次項有
  • 2014/04/27 10:27
    みつちゃんさん
       ありがとうございます。
    全く映画、音楽など芸能界に興味がなく俳優さんなど顔覚えていないのですよこの寅さんの言葉に出てくる俳優さんの名前も聞いたことがあっても顔が浮かばない人が多いです。この志村喬さんもそうでしたコメント頂きネットでみたら凄い大物俳優さんなんですねビックリしました、あぁこの人かと分かりました。
    私が最初に見た映画は小学校時代の「映画教室」だったと思います。高学年になると年に一度、文部省推薦の何とかというのを砂利道4キロを歩いて掛川座まで見に行きました。そのとき宇野重吉さんがお父さん役で出ていたのは覚えています最初に覚えた俳優さんでした。
    その後、数回は子供の頃物日に見に行きましが満員のなか人いきれで気持ちが悪くなり観るのが嫌いになっちゃいました。
     小っちゃい孫たち「えいがみにいってくる」と時々出かけますアンパンマンとか。
    次項有
  • 2014/04/27 22:30
    宇野重吉さんのお父さん役ひょっとして「しいのみ学園」では
    ないでしょうか?物語は忘れましたが「僕らはしいのみ まあるいしいのみ・・
    の歌いだしです。
    戦争孤児たちを世話する人だった記憶です。
    小学1年か2年生の時です。
    内容は覚えていませんが、そんな覚えだけです。
    分けもわからないことで申し訳ありません。
    次項有
  • 2014/04/28 20:44
    みつちゃんさん
       ありがとうございます。

    たぶんそうでしょうね。
    この歌はいっぱい聞いたり歌ったりしたことがある様な気がします音楽の時間に習ったのかもしれません。懐かしくハミングしました、ありがとう。
    この頃かもう少し後、青年団の人たちが夏の暑い時期、小学校の校庭や神社の境内に敷布でスクリーンをつくり映画を映してくれたこともありました。老若男女うちわ片手にスクリーンの前からも後ろからも見ていました。
    古いフイルムのためチラチラするし良い場面で切れて中断。これもまた楽しかったものでした。
    今は、スマホやタブレットとかいうもので鮮明な画面でゲームでも動画でも…
    良いのか悪いのか…昭和の方が良かったね、では困りますね。
    次項有
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