志村喬さんも素敵な役者さんでしたね。
落ち着いていて威厳のある方でしたね。
このシリーズを知ってるということは私も年齢を重ねたと思わず
笑ってしまいました。
いい脇役が多かったですね。
俺はヒマだったらな、腐るほど持ってんだから。 持ってねえのは金だけだい。 第31作『男はつらいよ 旅と女と寅次郎』から 寅さんの旅は「風の吹くまま、気の向くまま」です。寅さんに新幹線は似合いません。何度か乗っているようですが、苦手なことに変わりありません。 その理由を第46作『寅次郎の縁談』のなかで「スピードが速すぎて、目が回るから」と博に言ったことがあります。 博の父・ひょう一郎(志村喬)も第22作『噂の寅次郎』で、岡山に帰るときに「歳(とし)をとるとな、早い乗り物に乗ったってしかたないんだ。別に用があるわけじゃないし」と博に話しています。 目的地への移動ではなく、そのプロセスを味わうのが「寅さんの旅」です。便利になるほど、失ってしまう大切なものがある。それがひょう一郎の「別に用があるわけじゃない」ということばに表れています。 「男はつらいよ」シリーズがスタートして、次々と作品がヒットしていた1970年代はじめ、当時の国鉄が「美しい日本と私」というテーマで、「ディスカバー・ジャパン」キャンペーンを展開していました。高度経済成長にかげりが見え始めた頃にはじまった「男はつらいよ」のヒット背景には、日本の風景を再発見しようという「ディスカバー・ジャパン」ブームもあったと思います。 周遊券を手に鈍行列車の旅をする若者たちは、寅さんの「風の吹くまま、気の向くまま」に共感したに違いありません。高度成長から、低成長時代へと、世の中は様変わりしても、寅さんの「旅のポリシー」は変わることありません。 本編のことばは、第31作『旅と女と寅次郎』で、新潟県出雲崎から佐渡島に帰る漁船に、寅さんが同乗させて貰うときのせりふです。船長(山谷初男)の「時間がかかるぞ」に、寅さんは「ヒマだったらある」と答えます。これぞ寅さんの旅の神髄です。 そこで「私も乗せてくれないかな」と声をかけて来るのが、失踪中の人気歌手・京はるみ(都はるみ)です。多忙な日々で自己を見失っている彼女と寅さんがこうして出会います。もちろん寅さんは彼女が何者かは、知る由もないのですが・・・・・・。 × × 誤字脱字写し間違いあります。 博の父・飈一郎の漢字が化けてしまうのでひらがなにしました。 |