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2015年10月09日(金) 
10月7日、近所に住む百歳の方が亡くなりお通夜に行ってきました。よく聞くと親父と同級生だったようで東山口尋常小学校の何回生かの最後のクラスメートようです。
誰かが最後のクラスメートになるんだなあと思いました。そしてあちらの世界ではクラスメートに「お前は何をやっても遅かったもんなー。」と言われ歓迎されているような気がします。
閲覧数1,331 カテゴリ日記 コメント2 投稿日時2015/10/09 06:09
公開範囲外部公開
コメント(2)
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  • 2015/10/09 20:13
    shinobiさん
    私の父は老人クラブの会長をしていたのでよく弔事を読んでいました。
    父の同級生の弔辞も一手に引き受けていましたが、自分が長生きしすぎたので「俺の弔辞を読んでくれる人がいなくなった」とよく言っていました。

    結果的には3歳ほど年下の後輩が読んでくれました。
    長生きすると話し相手もいなくなってしまうので晩年は愚痴ばかりでした。
    どっちがいいんでしょうね?
    次項有
  • 2015/10/10 05:16
    shinobiさん、コメントありがとうございます。
    痴呆など無ければ愚痴ばかりでも長生きした方が良いと思います。
    親父も母が亡くなりその後16年間生きましたが、痴呆は無くとも服装などとんじゃくなくなってました。親父が91歳で亡くなる3年ほど前、これが最後の同級会でありもう友達が亡くなっても葬儀には行かないこととなったと言ってました。
    口数の少ない親父だったのでどんなふうに感じていたのかなあ。
    次項有
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