2016年05月01日(日) 

 

 

>第一線の将校や隊長は、失敗すると処罰されたり、詰め腹を切らされ、時には命まで失う羽目になることがあるが、軍司令官や将軍達はどんなに失敗しても処罰はない。 作戦指導の失敗や、自分の一声で多くの将兵の生命が失われても恬 [てん] として恥じないばかりか、歯牙にもかけないのでそこには何等の反省も生まれてこない。

 

意思のないところには責任がない。意思は未来時制の文章内容で、日本語には時制が無い。それで、日本人には意思がない。優柔不断・意志薄弱に見える。この国がひっくり返った時にも、責任者は出なかった。とかく、この世は無責任。

だがしかし、日本人には恣意 (私意・我がまま・身勝手) が有る。恣意は片言・小言・独り言にはなるが、文章にはならない。文章内容にならないものは、考えではない。矛盾を指摘することもできず、議論にもならない。

片言隻語は脳裏にはたまらない。雑念であるから精神集中を妨げになるので、頭の外に振り払われる。そして、腹の中にたまってどろどろとしたものになる。腹芸の原動力となる。日本人は腹にたまっているものを重視する。それで、腹の探り合いをする。腹をくくって決着する。そこにリーズン (理性・理由・適当) はない。だから、自分の言動に説明責任はとれない。

意思があれば、加害者意識 (罪の意識) も生まれる。意思が無ければ、加害者意識も無く、深刻な反省にも至らない。過ちは、繰り返しますから、、、、安らかに眠ってください。

過去の内容は、目の前にはない。その内容は頭の中にある。過去時制の文章が無ければ、その内容は辻褄の合うものにはならない。その内容もわからず、反省もない。ただひたすらに、供養を繰り返すのみ。

過去時制の作文ができれば、その話が恐竜時代の内容であっても事細かに語ることができる。だから、過ちを避けることができる。ここが、英米人と日本人の能力の違いである。

 

< 日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れる。その一例を以下に掲げる。
私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)

 

 

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閲覧数637 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2016/05/01 14:01
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