■バックナンバー
■RSSフィード
RSS 1.0 RSS 2.0 Atom 1.0
■このブログのURL
http://e-jan.kakegawa-net.jp/blog/blog.php?key=827689
2016年06月20日(月) 

今日も掛川城を訪れたお客様は遠方の方が多かったです。

カップルとしては私と同年代くらいの高齢ご夫婦が大半でした。

 

その中のご主人から質問がありました。

「“ぎょでん↑”って何ですか?」

*矢印はイントネーションです。

私も何かと思って逆に質問してみました。

そうしたらチケットを出して「これです」と指差してくれたのでやっと分かりました。

 

実は“御殿”のことでした。

無理に読めば「ぎょでん↑」と読めないことはないですが普通に読んで欲しかったですね!

以前私が同じように聞かれたのが「みどの」です。

これも読めないことはないです。

他の職員に聞くと「おとの」「おんでん」「みどの」「おんとの」などと言われた事があるとのことです。

 

ここまで来ると“おやじギャグ”で遊ばれているのかなぁ~と思ってしまいますがご当人は真剣なんですね。

なんで素直に「ごてん」と読んでくれないのでしょう?

 

別の話題ですが、今日は結婚式の前撮りが二組ありました。

まさに紅白対照の新婦さんでした。

 

実は昨日も前撮りがあって私は忍者姿でうろうろしていたので出演依頼がありました。

今日はフツーのじいさんだったので及びは掛りませんでした。

 

覆面の威力はすごいものです!

もう既に数十組のカップルの遊び相手になっているので、誰かの記念写真のどこかの片隅に潜んでいることでしょう。

 

 


閲覧数960 カテゴリ日記 コメント14 投稿日時2016/06/20 23:10
公開範囲外部公開
コメント(14)
時系列表示返信表示日付順
これより以前のコメントを見る
  • 2016/06/21 09:12
    鉛筆shinobiさん
    > みつちゃんさん
    地名では本当によくあることです。

    昨日、女性職員が大手門駐車場の場所を電話で聞かれたときに相手の方はカーナビを見ていたらしいです。

    「“じんふじ”って地名が出ていますがこの近くですか?」と言われて「じんふじ?」ってなんだろうと一瞬考えたそうです。
    実は「仁藤=にとう」のことでした。

    掛川、袋井は結婚式場多いですね、前撮りするカップルだけでも毎日来ているくらいなので式場は大繁盛でしょう!
    次項有
  • 2016/06/21 09:24
    「おんでん」は、ほしいですね。

    東京駅で「京葉線」を「きょうば線」と呼んで笑われました。
    だって、東京の「きょう」と「千葉」の「ば」じゃん!。
    なんで「けいよう線」・・・。
    息巻く私に、誰も取り合ってくれませんでした。

    音読み?訓読み?。私には、未だに、疑問です。
    次項有
  • 2016/06/21 13:56
    鉛筆shinobiさん
    > 隣のとろろ園さん
    私が初めて東京に行ったとき「御成門」「御徒町」は読めませんでした。
    日暮里は暫く「ひぐれさと」と思っていました。
    私もはっきり言って人のことは笑えません。
    次項有
  • 2016/06/21 15:17
    マサシさん
    パソコンの時代ですからね!読む方は読めても
    書くのはもっとダメですね。しっかり勉強した
    つもりですが・・・。忘れる方が多くて早いですね。
    次項有
  • 2016/06/21 19:31
    鉛筆shinobiさん
    > マサシさん
    それは確実に言えますね!
    漢字の形は分かっていても何ヘンなのかが出てきません。
    今日はちょっとしたコメントを書くために電子辞書を持って出かけました。
    次項有
  • 2016/06/21 21:56
    minonさん
    あくまで個人的な思いですが、「御殿」というと大きな大きな、今はないけど将軍様が住んでいた江戸城や大阪城規模のお城のその奥の奥の「超きらびやかな部屋」をイメージしていました。
    ですから掛川に住み始めたころ、初めて御殿に行ったとき「これ、御殿っていうんだ~!?」と正直びっくりしたのを思い出しました。

    違うイメージを持っていると、読み方も自然とちがってくるのではないでしょうか。

    イメージはちがっていましたが、掛川の御殿、歴史が感じられ私の好きな場所です。
    次項有
  • 2016/06/21 22:35
    鉛筆shinobiさん
    > minonさん
    戦国時代は「館(やかた)」と呼ばれていた部分が江戸時代になって「御殿」と呼ばれるようになったと聞いています。
    江戸時代の一般的な御殿というと3つの機能(役割)を持っていました。
    ①城主の私邸(奥御殿)
    ②城主の公邸
    ③諸役所(市役所と同じようなもの)
    これらを総称して御殿と呼んでいたようです。
    現在の掛川城御殿は②③だけで①は安政地震後再建されていません。
    (当時は415坪でしたが現在は②③だけで287坪です)

    このうちの奥御殿ですが江戸城だけは「大奥」と呼んでいました。
    掛川城の奥御殿には数人の側室がいたそうです(家族は江戸屋敷)

    江戸城、二条城、御三家の御殿は贅の限りを尽くした煌びやかなものだったのですが一般の地方大名は派手に出来ません。
    まずは幕府から目をつけられますが、実際のところはお金もなかったようです。

    掛川城はその一般的な大名の典型的な御殿が現存しているといわれ、最近ではBSの歴史番組などでも紹介されています。
    次項有
  • 2016/06/26 21:20
    minonさん
    ご説明ありがとうございます。
    私のイメージは①だったのです。
    掛川の御殿は、江戸時代にはあちこちにあった館なのですね。
    いつもタイムスリップしたような気持になります。
    次項有
  • 2016/06/26 21:49
    鉛筆shinobiさん
    > minonさん
    そうなんです。
    市役所と同じような役目をしていたのが御殿、市役所の裏に市長が住んでいたようなものという説明をお客様にはしています。
    次項有
  • 次項有コメントを送信
    閉じる
    名前 E-Mail
    URL:
    ※画像に表示されている文字を入力してください。
■プロフィール
shinobiさん
[一言]
Encantado=nice to meet you
■この日はどんな日
ほかの[ 06月20日 ]のブログは、
■最近のファイル
■最近のコメント
■最近の書き込み