槍平小屋の右俣とは尾根を一つ越えた左俣になりますが、一度鏡平山荘に2~3泊して、朝夕の鏡池を眺めたかったです、ヘリでも使わないと私にはもう不可能になってしまいましたが。
> 山登りも任意引退の時期
そんなお歳ですか。私の写真仲間のNG氏は76歳ですが冬山を含めてまだ現役ですよ。
目下、島田の伊太和里の湯で、キリマンジャロでの写真を展示しており、8月には青いポピーを見にご夫婦でネパールに行かれるようです。
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7月14日、深夜1時半家を出て10時頃から新穂高温泉ロープウェイ口から槍ヶ岳を目指し登山開始、雨が降ったり止んだりであった。槍平小屋まで後1時間くらいの所で幅40cm長さ5m程の木の橋の所で水量が激しくなり雨も降っていて滑りやすく落ちれば自力では立てずどこまで流されるか分からないと判断し14時半下山することにした。下山するとなると先ほど通ってきた橋2箇所は通れるかと水のたまった山道を必死に歩いた。2箇所は無事通ることができた。19時半頃駐車場に着く。靴の中にも水がたまっていた。ビショビショの衣服を着替え、新穂高温泉の宿を探したが分からず20時頃栃尾温泉へ行き、民宿宝山荘に頼み込み泊めてもらった。夕食はできないので明日食べる予定のコンビニで買ったおにぎりを食べ寒さ除けのポケットウイスキーを湯飲み3分の1くらいのみ布団に入る。良く眠れた。気がついたら朝の4時半であった。5時頃民宿の温泉に入った。貸切露店風呂があった。気分の良いものであった。散歩に外に出たら、散歩中の2人にどこから来たかと聞かれたので掛川と答えたら掛川茶で有名ですねと言われ嬉しく思えた。朝食の時、宿泊者9人いたが外国人4人と日本人5人であった。こんな山の中にも外国人国際化を感じた。また今回の登山では黄色の肥料袋を短冊状に切ったものを持って目印に20箇所程付けて来た。、橋の所に着くまでに2回転び手がまだ出たので良かったが弁慶の泣き所を打った。その時熊よけの鈴を無くした。ふくらはぎは痙攣し大変でした。もうそろそろ山登りも任意引退の時期だと思えた。
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