>それはまだ18歳で、その名前は平凡な「日本会議」である。だが、日本で最も強力な圧力団体の1つとして、国家主義の、実際、露骨に修正主義の要求事項を掲げている――戦時の日本による、西側植民地主義からの東アジアの「解放」の称賛、軍隊の再建、左翼教師から洗脳された学生への愛国主義の教え込み、戦前の古き良き時代に行われたような天皇崇拝――である。
横文字文化は、我が国には浸透しない。愛国主義は、最も安易な国民への説得法である。
勿論、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、常に簡単な事だ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ。(引用終り)
だから、平和国家を自認する国民を、戦争国家の国民にすることも可能である。
自由 (liberal) であるとは、相手の異なる考えを認め、相手の異なる習慣を容認する事である。 しかるに、我が国の伝統である素読・暗記の勉強法は、異口同音の練習・強化に他ならない。 両者は、水と油の違いである。努力の方向が異なっている。だから、大和民族には、アングロ・サクソンの考え方は通じない。
もう一度、大和絵の夢でも見たいのでしょう。
国粋主義 (超国家主義) の復活を目指しているのでしょうね。序列社会への愛着か。
日本人は、見栄と外聞に特にこだわるようです。国際社会において、名誉ある地位を占めたいのでしょう。お山の大将になる夢のようなもの。小さな身体に大きな望み。復古調というのでしょうね。はたして、日本人の魂は蘇りを見せるのか。
相変わらずの無哲学・能天気を披露する。新しい国際社会に関する夢がない。相手と自分の住む世界を考えない。相手と世界観に関する対話がない。大同がなくて、建設計画がない。’自分さえ善ければ・・・・・’ と考える。だから、国粋主義になる。英米の高等教育とは疎遠である。民度の低さが、我々日本人の根本的な問題である。この足かせの解決が必要である。
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