2016年08月18日(木) 

 

日本人の夢は、はかない。それに比べて、英米人の夢は生きる希望になる。どうして、このような違いが生まれるのか。どちらも、非現実の内容である。見ることはできても、触ることはできないものである。非現実の内容に価値を認めるか、認めないかの英米・日本の差である。

 

日本人にとって非現実の内容は意味がない。それは、非現実の内容が日本語の文章にならないからである。文章にならない内容には、意味がない。矛盾がありそうでも、それを指摘できない。だから、価値がない。雑念として放置されか、脳裏から振り払われる。

英米人の非現実には価値が有る。それは、非現実の内容が文章になるからである。非現実の内容は、時制のある文章内容になる。文章になっている非現実の内容には、意味がある。矛盾も有れば、それを指摘できる。矛盾を訂正すれば正しい考えになる。だから、価値がある。

 

全ての考えは、文章になる。文章にならないものは、考えではない。

日本人の夢は、非現実であり、文章にならない。だから、意味もなければ、価値もない。打ち捨てられている。

英米人の夢は、非現実であるが、それは時制を使えば、文章内容になる。夢は未来時制の文章内容になる。だから、意味もあれば、価値もある。

 

現実の内容は、頭の外にある。これに対して、考え (非現実) の内容は、頭の中にある。

現実の有様は、見ればわかる。考えの内容は、理解しなければわからない。

日本人の夢は、文章にならないから、理解不能である。

英米人の夢は、未来時制の文章内容になるから、理解可能である。非現実の内容は大同になりうる。だから、小異 (現実) を捨てて大同 (非現実) につく人々を増すことにより、大同団結できる。

今は民主主義の時代である。民が力を示す時である。それには、民の理解が必要である。考え (非現実の内容) を理解する力が必要である。

 

我々は、‘あるべき姿’ の提案を受けて、’そんなことを言っても駄目だぞ、現実はそうなってはいない’ と反発する現実肯定主義者にとどまってはいられない。

‘嘘も百回繰り返せば真実になる’ といった (矛盾した) 現実を受け入れる態度ではいられない。たとえ、その内容が有史前に関する事柄であっても、(矛盾のない) 正しい考え方を受け入れる人間になる必要がある。矛盾のない内容はすべて正しい。だから、与えられた唯一の正解を後生大事にして暗記の勉強に励む必要もない。各々が自由な議論を盛んにすれば、我々は夢を追いかける人となることができる。

我が国においても、英米流高等教育の無償化は、最重要課題であるといえよう。さすれば、未来社会の建設にも弾みがつく。

 

日本人が非現実の内容を頭から拒否するのは、和文の中では理解不能だからである。意味もなければ、筋も通らない。夢物語となっている。

英米人が非現実の内容を高く評価するのは、正しい考えの表明だからである。英文の中では、理解が可能だからである。ちょうど、アインシュタインの理論が評価されるようなものである。彼の考えは、非現実であっても正しい。実証されなくても正しい。実証されれば、なおのことおめでたい。

 

人間の偉大さは、夢を正夢にすることにある。非現実の内容を現実の世に実現することにある。さすれば、我々は、人類固有の創造力を発揮したことになる。人類の進歩はこれにある。

 

 

 

 

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閲覧数487 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2016/08/18 10:46
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