■バックナンバー
■RSSフィード
RSS 1.0 RSS 2.0 Atom 1.0
■このブログのURL
https://e-jan.kakegawa-net.jp/blog/blog.php?key=828751
2016年09月10日(土) 

朝晩は涼しくなりましたが日中はまだ真夏ですね!

掛川城天守最上階は10時頃から強風が吹き込んできました。

帽子が飛ばされるくらいでしたが客様は涼しさに大満足して降りて行きました。

 

 

北側の窓は今日も開けましたがおそらくこの夏最後でしょうね?

来週からは雨で、そのあとは涼しくなりそうです。

 

 

(天守最上階北側の窓)

 

11時頃、父子のお客様が登城して来ました。

歴代城主の一覧表の家紋を見つけて「本田忠勝!、井伊直政!」と叫んでいました。

何歳か聞いてみたところ「来年小学校に上がる」と言ってました。

 

(天守最上階南側の窓)

 

その後、このお城について説明して欲しいということだったので今川の時代からの掛川城の歴史を話しました。

「こんな武将の名前を出してわかるかな?」と思いながらも普通のお客様に説明する程度の武将の名前を出して説明しました。

 

ところが殆ど知っていました。

知らなかったのは掛川城主「山内一豊」だけでした。

お城廻りもこの子どものリクエストでかなり行ってるそうです。

お父さんにしてみると「自慢の息子」でしょうね!

 

 


閲覧数1,908 カテゴリ日記 コメント4 投稿日時2016/09/10 22:25
公開範囲外部公開
コメント(4)
時系列表示返信表示日付順
  • 2016/09/11 00:24
    コッチさん
    馬を買うお金がなくて困っていたとき、彼の妻がヘソクリからお金を払った…との話で山之内一豊を知っていますが、掛川城の城主であったとは知りませんでした。

    幼稚園児童よりはチョッピリ上…と云えるかしら。

    .
    次項有
  • 2016/09/11 08:32
    鉛筆shinobiさん
    > コッチさん
    山内一豊公は近江の長浜城(2万石)で城持ちになり6年ほど在城しました。
    1590年に秀吉の命で掛川城(5万石)へ赴任、関が原の戦いのあとは、家康により高知(20万2千6百石)に移封され3年程で亡くなってしまいます。

    妻の千代さんの持参金で馬を買った話は江戸時代に新井白石が「武士の妻の鏡」ということで紹介したらしいですが、近年の研究で時代考証的に合致していないことがわかり新井白石の創作ということが分かってきました。
    (残念です!)

    でも妻の千代さんは一豊公の参謀としての助力が功を奏して関が原の戦いで徳川軍を勝利に導きました。
    次項有
  • 2016/09/11 08:58
    小さな子供が歴史に興味を燃すことは素晴らしいですね。
    ご紹介の記事からその子はかなりの歴史ツウ!

    その子が「山内一豊」を知らなかったとはちょっとしたエピソード。
    今度は自慢して山内一豊を語ってくれるでしょう。
    次項有
  • 2016/09/11 19:47
    鉛筆shinobiさん
    > 趣味遊友さん

    子供のころに何か興味を持たせる事が必要だと思います。
    それが目標になって進んでいけば自殺などに走る子はなくなると思います。
    スポーツの世界でも同じだと思います。
    次項有
  • 次項有コメントを送信
    閉じる
    名前 E-Mail
    URL:
    ※画像に表示されている文字を入力してください。
■プロフィール
shinobiさん
[一言]
Encantado=nice to meet you
■この日はどんな日
ほかの[ 09月10日 ]のブログは、
■最近のファイル
■最近のコメント
■最近の書き込み