2016年09月20日(火) 

 

 

大学の良さは、その学問の高さにある。

その業績を比較すれば、大学の良さは自ずと判明される。

だがしかし、我が国では大学評価の基準が驚くほど逸脱している。

入試の難易度で、その優秀性を比較するからである。そして、ありがたい難関大学と呼ばれるものができる。

入試の水準は素人の高校卒レベル、学術業績はプロの学者レベルに関係している。その知的レベルの違いは、未成年と成人の違いほどある。基準の違いがあっては、大学の国際比較を論ずることはできない。学問を通しての国際競争も、子供と大人の競争のようなものになる。

 

このことから察しても、国民の高等教育に対する関心の極端な差のあることが明らかである。

中国や韓国にも難関大学はあるであろうが、これらの国民の大学に対する見方は、我が国の見方とそれほど変わったものではないであろう。特亜三国の学問業績の高さでわかる。無哲学・能天気では、高尚 (非現実) なことは言えない。特亜三国の知識人は、欧米諸国と人々とは知的な面で切り離されている。その発言は低俗にとどまる。

 

誰も見たことのない恐竜時代の有様を詳しく述べる能力は、非現実の内容を述べる哲学による。恐竜物語は、矛盾を排除したところの ‘作り話’ である。矛盾さえ取り除けば、非現実の内容は真っ赤な嘘とはならない。真理となる。非現実の文章を作るためには、時制ある英語を使わなくてはならない。特亜三国の言語には時制がない。だから、英米流の高等教育の第一歩として、英語の習得はきわめて重要である。さもなければ、我々は民度の低さを克服できない。

 

非現実の内容に矛盾を残せば、筋が通らない。だから、哲学にはならず、空想・妄想・雑念になる。いつまでたっても真面目人間にはなれない。矛盾を交えた非現実の内容は正しい考えにはならずして、漫画・アニメの類になる。かくして我が国は漫画大国の道を歩くことになった。仏頂面をしていても、漫画人間であることに変わりない。真面目に大学に通う学生になろう。

 

>「数年前に比べて“半端な留学生”が増えたような気がします」とグエンさんは言う。ちなみに、アメリカの留学生は原則として就労が禁止されている。関連の業界からは一様に「本気で勉強する人材はむしろアメリカに向かい、日本に来ないのでは」という声が漏れる一方、「日本では“なんちゃって留学生”が増えてしまう」との懸念が広がる。

 

 

 

 

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閲覧数730 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2016/09/20 23:21
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