父親と一緒?六文字穴へ逃げ込んで、敵が探しにきたが蜘蛛の巣が
張ってあったのでいないだろうということで助かったという話は
聞いたことがあります。そんなに幼少期だったか?
可睡斎の六文字穴のことです。 過日、可睡斎を訪れた際に広報の方(お坊さん)に可睡斎の名前の由来を聞きました。 (六文字穴)
そのむかし徳川家康幼少の頃、武田の軍勢に攻められて父親と一緒にこの六文字穴に逃げ込んだおかげで助かった。 その後、家康が浜松城主?になった際に可睡斎の僧侶も招待された席で、家康が話している途中で居眠りをしてしまった。 他の家臣が慌てて起こそうとすると家康は「捨ておけ、捨ておけ」と言って許した。 それから寺の名前を「可睡斎」とした。
まず、徳川家康の父(松平広忠)は1549年に24歳で亡くなっています。 その頃、家康(松平竹千代)は今川義元の人質となって駿府に住んでいます。 (家康は9歳~10歳くらい) (大樹寺:松平家の菩提寺)
当時駿河、三河、遠江は今川家の支配下にあったため、武田は遠江には攻めて来れない筈です。 ましてや竹千代が今川を抜け出して父親とともに戦うことなどあり得ない話だと思うのです。 (松平広忠の墓/大樹寺=岡崎市)
最後に六文字穴ですが漢字の六ではなくて数字の6の形をしているからそう呼ばれていると思いますが、当時から英数字は存在していたのでしょうか?
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