>■ 実務で役に立たない大学教育
そうですね。教養は実務の役に立ちませんね。
原書は、海外で作られる。舶来の知識を民に授けるのが教授の役割でしょう。
そうですね。人間には教養・哲学が大切ですね。
>つまり実務から離れ、学問を追究していればいいという方向に持っていってしまったのです。
日本人には、実務は理解できるが、哲学は理解できないでね。無哲学・能天気の国民性は治らない。
日本人には世界観がないから、移行すべき次の世界の内容を構築して提示することはできないでしょうね。内容のない改革には、賛成者はいないでしょう。
>大学という場所からアンビションが失われているのですね。
‘何も変わりませんから’ といって、役人は教授たちの不安を取り除いていている。 目標のない変化は、不安の元でしかない。無哲学では、目標の設定は不可能です。
>「アカデミック」と言っても、日本の大学教授は、欧米の学者の理論を解釈して学生に伝える、いわば輸入学者にすぎません。
欧米の学者の理論が日本の教授の正解です。日本の大学教授はそれを学生よりも早く手に入れる。学生はその教えを乞うて暗記に励むのが昔からの習わしです。
>学生にとっては新しいかもしれないが、教育自身は30年も同じ講義を繰り返しているという状況です。
ずぶの素人にとっては何事も新しいかもしれませんが、所詮、畳水練のようなものでしょうね。
>○ 大卒・院卒は実務で役に立たない?
無哲学・能天気の民には、英米流の高等教育には手が届かないでしょうね。大卒が駄目なら、院卒も駄目である。
専門学校で職業教育を受けなくてはならないでしょうね。教養教育は、職業教育の代わりにはなりませんね。
大学院では、創造力が必要ですね。暗記学力では追いつかない。
>大学院に通い始めると、今度は「研究室に残らないか」ということになる。
序列感覚に導かれて、学問をするわけですね。時間の浪費でしょうね。
>大学が、次の教授をつくるための装置になっているのです。
昔からある家元制度のようなものですかな。
できのいい人間は、学問の道を選んで英米流の高等教育を受けたほうが良いでしょう。
>大学や大学院で、実務で役に立たないことばかり学んできた学生を受け入れる企業は大変です。
大学では教養を積み、大学院では高度の職業人を目指すべきでしょう。
>入社した人間を一から鍛え直さなければならない。
指示書に従って働く人間には、教養は必要ないのかもしれませんね。
大学院が学士のための専門学校の役割を果たしていないからでしょう。高度の職業人を養成する機関となっていない。米国では、小・中学校の教員でも、就職後一定期間内に修士号を得ないと、以後お払い箱になります。
>○ 国立大学は時代遅れの官僚養成学校
お変りのないのが、天下泰平のあかしと考えられているのでしょうね。
そうですね。官僚がいなければ、国が成り立ちませんからね。政治家が困る。
マニュアル組の人間に頼っていては、現代国家の操縦は成り立たないでしょうね。
政治家には哲学が必要です。民を説得する強力な魅力的な内容が必要ですね。役人は政治をしない。また、その責任もない。
我が国の大学院を高度な職業学校に育てるべきですね。
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