2016年12月14日(水) 

 

>21世紀は答えのない時代です。

>既存の答えを効率的よく覚えることのできる人間は何億人もいます。

 

進学率も高まり、受験競争も激しさを増していますね。

 

>これから先、問われるのは「あなた個人がどこまでやれるか」ということなのです。

 

個人主義の時代ですね。

>会社というのは、答えのない世界ですよね。

>最初から答えがあるのなら、会社などいらない。
>欧米に追いつけ追い越せ、あるいはゼネラル・エレクトリック(GE )の真似をすれば何とかなる、という時代は終わりました。

 

猿まねの時代は終わったということですね。


>これから先進国に追いつこうとする途上国ならともかく、自分の頭で考えることが求められる先進国の現実に、日本の教育制度はまったく合っていない。

 

同感です。

 

>現実の世界、企業の置かれている状況がどんどん変化しているにも関わらず、日本の教育は旧態依然として一向に変わりません。

 

そうですね。

 

>これはきわめて深刻な問題です。
>では、どうすればいいのか。

>文部科学省主導で教育制度を変えるというのでは、大幅な改革は無理でしょう。

 

そうですね。責任者の文科大臣は、哲学者ではありませんからね。

 

>文科省が考える教育と21世紀の現実に合った教育では、そもそもの土台、基本的な考え方や目的があまりにも違いすぎます。

 

文科大臣の考えは、現実離れしているということですか。


>ですからこの問題は、「自分の頭で考える」ことの重要性に気がついた皆さんが、家庭や企業、あるいは自治体で、それぞれ先取りして実践していく必要があるのです。

 

「自分の頭で考える」ことは重要ですね。しかし、日本人には難しすぎますね。

日本語は、実況放送・現状報告の内容を語るための言語です。頭の外にある内容を語る言葉です。

ですから、日本人は、現実肯定主義者です。

 

考えは、頭の中にある。だから、実況放送の内容でも、現状報告の内容でもない。

自分自身の考え (非現実) を表明すれば、日本人は ‘そんなこと言っても駄目だぞ。現実はそうなっていない’ という。

だから、考えそのものが成り立たない。

 

現実の世界は一つである。その内容は異口同音なる。だから、一つの正解を求める教育が行われている。

非現実 (考え) の世界は、多種多様になる。だから、個人主義の容認が必要になる。

非現実の内容は、英米の高等教育で行われている。

人間の考えは、文章を作ることで行われる。

非現実の内容を示す文章には、文法上の ‘時制’ というものが必要である。英語には時制があって、日本語にはない。

時制のある文章内容は非現実となり、哲学となる。西洋社会では、個人個人にそれぞれの哲学が求められている。

時制のない文章内容は現実となり、実学 (技術) となる。日本人社会では、実学以上のものは求められていない。

時制のない文章で非現実の内容を語れば、それは空想・妄想になる。かくして、我が国は漫画・アニメの大国になった。我が国では、家庭・企業においても自分の頭で考えることは難しい。だから、人々は付和雷同になる。

 

 

.

 

 

 

 

 

 


閲覧数568 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2016/12/14 11:26
公開範囲外部公開
コメント(0)
  • 次項有コメントを送信
    閉じる
    名前 E-Mail
    URL:
■プロフィール
シンちゃんさん
[一言]
明るい未来社会を築こう
■RSSフィード
RSS 1.0 RSS 2.0 Atom 1.0
■このアルバムのURL
https://e-jan.kakegawa-net.jp/blog/blog.php?key=829960