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2017年03月14日(火) 
戦後絵巻「さとえ」物語 作詞作曲浦里 唄小枝

台詞

時は戦後昭和20年代に至りますれば、静岡県掛川町に祖父母の一人娘の
文子に待望の初孫が誕生いたしました。祖母のはつは初孫に純毛の
毛布を掛けて 初孫を寒さから守ろうといたしました。しかし;;;

歌詞

時は戦後の 掛川に 「さとえ」姫様生まれます
生後10日も 過ぎたころ 毛布の毛羽で ヒキツケを

台詞

祖父誠一の機転で水を口に含んで 初孫の鼻にかけて
孫はくしゃみと共に 毛布の毛羽を飛ばし
ヒキツケは治まり 「さとえ」と名前が付いたのは
翌年の正月三日のことでした。

じいじに命を助けられ ばあばと先祖の お参りを
;;;その後18歳までの昭和時代をを歌で綴っております。

https://youtu.be/k8U1XShFDec

 

閲覧数104 カテゴリ日記 コメント3 投稿日時2017/03/14 03:40
公開範囲外部公開
コメント(3)
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  • 2017/03/14 04:01
    鉛筆edaさん
    2番歌詞

    じいじに命を 助けられ ばあばと先祖のお参りを
    教会通って キリストに 天の神様 ありがとう

    3番歌詞

    さとえが十八なった時 焼津神社の巫女さんに
    日本武尊「ヤマトタケル」のお社で
    神のお札を 作ります
    次項有
  • 2017/03/14 04:14
    鉛筆edaさん
    2歳ころからは祖母や曾祖母に連れられて菩提寺の正願寺に
    お詣りに お出かけしました また祖母の実家「新町」
    の隣にキリスト教の教会がありましたので毎週
    日曜日に祖母に連れられて 四才ころからお参りに行って
    小学校低学年まで続きました。
    次項有
  • 2017/03/14 04:28
    鉛筆edaさん
    昭和43年3月掛川東高校を卒業しても、42年暮れまで2か月も
    入院していた私は、3月になっても就職が決まらず、焼津の
    親戚のお姉さんが焼津神社に勤めていらした
    こともあって、私の体を気づかって下さり
    駅前のその親戚の家に下宿させて頂き、その方の紹介で
    4月12日から焼津神社に
    勤めさせていただき、6月からは正社員として
    厚生年金にも加入させて頂きました。
    次項有
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