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2017年03月16日(木) 
〈ヒント〉
山内一豊公が掛川城主時代にこの城の建設に関わっていました。

江戸時代最初の掛川城主「松平定勝=家康の弟」が掛川のあと城代となっていました。

関ヶ原の戦いの直前に徳川の重鎮「鳥居元忠」が石田三成軍の進軍を遅らせる目的でこの城に立て籠って壮絶な戦いをして果てました。

その血染めの床が養源院の天井板となって残されています。

豊臣秀吉はこの城で最期を迎えたと言われます。

ところで、今日私が訪れた時には観光客は他に誰もいませんでした。
そのくらい知られていません。

閲覧数1,221 カテゴリ日記 コメント2 投稿日時2017/03/16 23:42
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コメント(2)
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  • 2017/03/17 08:54
    鳥居元忠と石田三成との戦いとの戦いと言えば
    「伏見城」ではないですか。
    今伏見城の最初の城跡「指月城」が発見され、
    発掘が行われているようですね。
    私も一度行って見たい所です。
    次項有
  • 2017/03/17 18:34
    鉛筆shinobiさん
    さすが歴史通のサギソウさんですね。

    伏見城は秀吉の隠居所として建築されたのですが、その後の地震や政権交代で姿を変えてきました。
    最終的には廃城となって天守は二条城に移築されたと聞きます。

    掛川城大手門の脇に三光稲荷がありますが、伏見城築城に携わった山内一豊公が勧請したと言われています。

    伏見城天守は鉄筋コンクリートの模擬天守ですが、耐震強度の関係で観光客は中に入ることはできません。
    時代劇の撮影にはよく使われます。

    もうひとつ、伏見城に行くのがたいへんです。
    表示も何もなくスマホの地図ナビで坂道をひたすら上がっていくしかないです。
    次項有
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