>日本は今、非常によくない状況に進んでいます。
昔からよくない状態でしたね。
>低温ヤケドのようにじわじわと全体主義が進んでいる。
慢性的ではありませんか。個人主義が無ければ、全体主義になりやすいでしょうね。
>僕に言わせれば「熱狂なきファシズム」。
安定した独裁政治ですね。熱狂はないですね。
>なのにメディアがそれを本気で止めようとはしないことが問題です。
金儲けしか気にならないことでしょう。無哲学で能天気な人間には、’あるべき姿’ が想定外になっています。
>特に大きなメディアが腰抜けすぎる。
大所帯では、そうでしょうね。個人が埋没しています。大きいばかりが能ではない。
>小さいメディアには抵抗しているところもありますが、新聞もテレビも、一番の歯止めとして頑張らなければならないところがその仕事をしていない。
新聞もテレビも、その自覚はないでしょうね。
>さらに深刻なのは、これでいいんだと思っている人が実は多いのではないか、という点です。
そうですね。伝統的な態度です。これ以上のものは、誰も望んでいないようです。我々には、行き着く先が見えていません。
>安倍政権があれだけ非民主的な政治をしても支持率が下がらないのをみると、「民主主義、表現の自由、権力の監視など必要ない」というコンセンサスが、実はメディア内でも一般人の間でも形成されているのでは?という気がしてなりません。
そうですね。何事もお変わりなければ、天下泰平の世の中です。我が国には個人主義が無い。個人主義が無くては、民主主義も衆愚政治になりますね。個人が無くて、個人の意思が無い。自由とは、意思の自由のことでしょう。意思が無いのなら’不自由を常と思えば不足なし’ というところでしょうね。 日本人には恣意があるが、恣意 (私意・我がまま・身勝手) の自由は、’自由の履き違え’ になります。権力による監視を期待しているのではないのですか。
>それが根本の問題です。
おっしゃる通りです。それが、根本の問題です。我が国の伝統が問題です。意思のある所に方法はある。(Where there’s a will, there’s a way). 日本人には、意思が無い。意思は未来時制の文書内容で、日本語文法には時制が無い。だから、日本人には意思が無い。 だが、英語には時制ある。だから、英米人には意思がある。彼らの真似をすることは難しい。
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