>日本の官僚制度は明治初頭に、中国の「科挙」をモデルとして作られた。>「科挙の制度」とは、高級官僚をペーパーテストで募集する仕組み。奈良時代に一度導入を試みたが、日本には合わなかったらしく、平安時代に廃止された。
科挙の制度の採用は、身分制度の否定につながりますからね。侍たちには良くない制度です。
>しかし明治時代になって突如として復活。導入の目的は、廃藩置県によって失業した大勢の武士を、教育によって「官僚」という名の特権階級に仕立て変えるということだった。
教育というよりも、選抜によってというところでしょうね。
>しかし明治の終わりから大正の初めのころにはもう、いわゆる「受験」を巡る弊害が、大問題として扱われるようになってしまっていた。 >何が大問題だったのか?>それは「受験」をパスして大学へと進学した者たちの中に、分数の計算や、簡単な世界地図も満足に描けないような生徒たちが続出するようになったから。
受験は選抜試験になっていて、学力の程度を決める試験にはなっていなかったのでしょう。
>●「科挙の弊害」
競争試験は、身分制度の破壊につながりますからね。貴族が死に絶えれば、競争も可能になりますね。
(略)
>だが、貴族が一掃されてしまった後の宋の時代に平民しかおらず、逆に、このときは科挙によってしか官僚の補充ができないという状況だった。宋の皇帝は科挙の目的を、丞相(総理大臣)に相応しい人物を募集し養成することと定めた。それゆえ、一度科挙に合格して役人となれば、家柄や出自にかかわらず、名誉も最高、収入も最高、権力も最高だった。 最高づくめでは、腐敗しますね。
>また、栄誉に浴するのは本人、家族だけではなく、一族をはじめ、地元にとっても大変な名誉であり、才能と志のある者は周囲からの応援や期待を背に、壮絶な受験地獄へと身を投じていった。
昔の受験戦争ですね。
>だが受験者数の増大が熾烈な受験競争を生むこととなり、受験のための勉強が、生まれたときから特権階級目指してまっしぐら、脇目も振らず磨きをかけ、競争を勝ち抜くことだけに長けた輩が高級官僚に就くようになってしまうのだった。中国における科挙の歴史は正に明治以降の日本の教育問題、官僚の歴史そのもの。
最高の処世術ですね。
>明治時代、ごく一部の高等教育機関のみにみられた「受験」競争は、今や小学校や幼稚園にまで浸透し、高度経済成長期を経て小金持ちが増え、受験勉強だけしてきた輩が官僚および特権サラリーマンになる時代になってしまった点も、科挙を巡る明代以降の中国の様相にピッタリだ。
受験戦争の勝者には、残念なことながら教養がないですね。
昔からある我が国の序列制度に受験競争を組み合わせたのでしょう。天下泰平のこの国に、ふたたび序列昇進の夢を世の中に作った。一寸法師の夢。ノラクロ (野良犬の黒) の夢。
>●「学歴による階級社会の誕生」 >この「学歴による階級」。明治政府が華族制度を以ってしても形成し得なかった階級意識を、「科挙」を模した日本の教育制度は実にあっさりと日本人の意識に刻み込んだ。
華族制度は西洋の階級社会 (横社会) の制度を模したものでしょう。違和感がある。日本の序列社会 (縦社会) は序列形成のために、科挙の手法を取り入れました。
考えることが出来ないので、現実への適応力は落ちていますね。
>危機に対処できない。そんな官僚が日本の舵取りをしているのだ。
政治に関する問題は政治家の責任でしょう。いくら何でも官僚が責任を取ることは無いでしょうね。政治家から、その政見を聞きましょう。官僚は政治家の手足です。
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>それは「受験」をパスして大学へと進学した者たちの中に、分数の計算や、簡単な世界地図も満足に描けないような生徒たちが続出するようになったから。
それはまずかったですね。どんなにつまらない受験戦争でも、人間の序列は決まりますからね。
>このような事態に陥ったにも拘わらず何故、「受験」は継続されてしまったのか?
それは政治家の責任です。とかく、この世は無責任。
意思のある所に方法はあります。 (Where there’s a will, there’s a way). 日本人には、意思がありません。だから、政治家にも方法が有りません。無為無策で座して死を待つ。絶体絶命か。いさぎよい。 改革には、意思のある人間が必要です。英米の高等教育を受ければ、それが可能になります。しかしながら、選挙民のこともありますのでね。前途遼遠です。
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