2017年06月27日(火) 

 

>現在、物としての宇宙の中、地球という物体(天体)の上で、生物や無生物に取り囲まれて生きている現代日本人とは全く異なって、古代日本人は四六時中精霊に囲まれて--あるいはむしろ、精霊を宿した「もの」(ものの気)や「こと」(言霊)に囲まれて--生活していたのであり、彼らの感覚は、現代人のかなり鈍化したそれとは、違って、異様な鋭さを外界の「もの」や「こと」に対してもっていたであろう。

 

ものごとの話ですね。

 

>彼らはその鋭敏な感覚と心によって、周りの「もの」から絶えず放射される、季節の順・不順や吉凶などに関する様々な信号を解読しながら生活していた。

 

そうですね。心配していたのでしょうね。信号の解読が必要ですね。

 

>自然界に在る、「もの」としての花鳥風月は、「もの」に内在する霊気によって伝達される、いささか漠とした情報を乗せた。

 

情報は漠然としていますね。

 

>一種の暗号文であり、ここから、焦点の定まらぬ「もの悲しさ」「もの憂さ」「もの怖じ」などが生じるのであろうが、これの解読は神官であれ、歌人であれ、農夫であれ、「ものの心」をわきまえた「心ある者」だけがよくすることであった。

 

あくまでも忖度 (推察) の仕事でしょうね。

 

>彼らは真の「もの知り」であり、「もの知り」とは彼らのように、霊妙なる「ものの心」を読み取ることができる一種の霊能者であったと言えるのではないか。

 

そうかもしれませんね。ものの心は、文章内容にはなりませんね。心から心へと伝えられるものでしょう。

 

>ともかくも、自然界は霊気に満ち、「もの」を媒介として、たえずその暗号情報を送りつづけていたのである。

 

もの見が必要ですね。人々は気分・雰囲気に左右されますね。

 

>このように花鳥風月をそれぞれ霊気(マニア)を宿すものとして愛で、日月山河を尊崇する古代日本人の霊的な自然観の根底に人はアミニズムの昇華された形態を見ることができるのである。

 

まったく自然ですね。意思はどこにもありませんね。意思がなくて、心がある。これが我が国の精神文化になっているのでしょうね。

 

 

>こまやかな文明・日本(NTT出版ライブラリーレゾナント/千田 稔)

 

 

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閲覧数623 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2017/06/27 06:03
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