2017年07月19日(水) 

 

 

>現代の社会は、ユダヤ教やキリスト教といった一神教の基盤としたヨーロッパ文明が生み出した近代文明によって影響を受け、それに席巻されているように見える。その一方で、一神教同士の対立や一神教と他宗教との対立を背景にした様々な問題も生み出している。

 

そうですね。これは、宗教戦争の再来ですかね。

 

>その中で日本文化の独自性が注目されるとすれば、それはどうしてなのか。

 

我が国の文化はホール (Edward Twitchell Hall, Jr. 1914-2009) によれば高文脈文化 (high-context cultures) ということになりますね。日本のような《高文脈文化》の特徴は、次のようなものです。:  言葉以外に状況や文脈も情報を伝達する。重要な情報でも言葉に表現されないことがある。/ 曖昧な言語 / 一般的な共通認識に基づく / 双方の合意に基づいた契約でも状況によって柔軟に変更される。/ 感情的に恣意決定される/沈黙は不快ではない /

 

>日本は、非ヨーロッパ文明の中ではもっとも早く、近代文明の吸収と発展に成功した国である。

 

そうですね。我が国は、物質文明だけを受け入れましたね。

 

>であるにも関わらずキリスト教徒は圧倒的に少ない。

 

精神文明は受け入れませんでしたね。日本語は曖昧な言語です。日本人は、意思の内容の表現には反発を示したのでしょう。

 

>「一神教が浸透しなかった最大の国」なのである。

 

そうでしょうね。最大の国かどうかは知りませんが、非ヨーロッパ文明の大きな国であることは確かですね。

 

>科学技術や政治・経済システムの面では近代文明を大幅に取り入れ成功を遂げながら、その文化の深層の部分では一神教を頑なに拒んでいる。

 

物質文明と精神文明は違いますからね。前者の内容は、頭の外にある。だから、見ることが出来る。だのに、後者の内容は、頭の中にある。見ることが出来ない。日本人には、頭の中の内容は受け入れることが出来ないのでしょうね。言語が曖昧ですからね。

 

>そこに日本文化のユニークさと不思議さがある。

 

そうですね。無心のユニークさですね。無哲学・能天気というのかもしれない。

 

>おそらくそれは、農業文明以前の縄文的な心性が、現代の日本人にまで脈々と受け継がれていることから来るユニークさである。

 

そうですね。それは、日本語のせいでしょう。意思は未来時制の文章内容です。しかし、日本語文法には時制が無いので、日本人には意思の表現ができません。

 

>世界の大半はすでにそれを失っているがゆえに、一神教を拒みながら近代化に成功した国である日本が、ますます注目されるようになるのだと思う。

 

日本人には意思がありません。自然を見てもそれが神の意思と考えることはありません。だから、自然はごく自然に見えます。我が国においては、人間もアニマルも、ひとえに自然の中に溶け込んでいます。

日本人には、意思が無い。だから、自己の意思を主張することもなく、相手に意思の内容を求めることもありません。他力本願・神頼みといえども、神仏にその意思の内容を求めているものではありません。

意思のあるところに、方法がある。(Where there’s a will, there’s a way.) 意思のない我が国人には、解決方法がない。だから、自然に任せている。とかくこの世は、無責任。

意思があれば、個人は責任を持つことが出来ます。意思が無ければ、国がひっくり返っても責任者は出ないでしょう。これはごく自然なことです。

 

 

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閲覧数336 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2017/07/19 16:15
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