2017年08月26日(土) 

 

 

 

 

>■おかしな「良い子」が作られる

 

>学校でよく言われる「良い子」「優等生」とは、結局のところ教師の言う事に黙って従い迷惑をかけない人間だと言えるでしょう。

 

そうかもしれませんね。声なき民の子供ですね。

 

>でも、これはよく考えてみると凄くおかしいと言う事が分かるはずです。>自分の意思を持たず、ただ上の人間の命令に従うことが全てだと考えている人間なのですから。

 

そうですね。同感です。ですが、日本人には意思 (will) がありません。意思は未来時制の文章内容でありますが、日本語には時制 (tense) というものがありません。ですから、日本人には意思がありません。それで、優柔不断・意志薄弱に見えます。英語には時制がありますから、英米人には意思があります。だから、積極的です。

日本人には意思はありませんが、恣意 (私意・我がまま・身勝手) が有ります。恣意 (self-will) は文章内容にはなりませんが、バラバラな単語 (小言・片言・独り言) として発せられます。これは、歌詠みの様なものか。それを下位の者はそれを忖度 (推察)して、行動します。空気を読むわけですね。ですが、文章にならないものは意味もなく、矛盾さえも指摘できません。ですから、忖度による行動に説明責任など取れません。公の場で上司と対立関係に立ったなら、私は貝になりたいと思うでしょう。文章にならない発言を日本人が利用しなければならない環境が、日本語を曖昧な言語にしていることの原因です。

‘自由’ とは意思の自由のことです。ですが、これを恣意の自由と解釈したら、’自由のはき違え’ となります。ですから、恣意しか持ち合わせ居ていない人には、’不自由を常と思えば不足なし’ ということになります。これは、昔に戻ることですね。

 

>■学校の中でしか評価されない人間

 

>学校での良い子とは、結局自分自身の自我というものを殆ど持たない傾向にあることは説明する必要は無いと思います。>こうしたタイプの人間が大勢集まってくれるならば、確かに教師は非常に楽なのです。>学校での授業は特に何の問題もなく進むでしょうし、大きな事件や問題を起こして教師たちを困惑させることもまず無いと言えるでしょう。>ようするに、他人に迷惑をかけない人間なのです。勿論、確かにそれは大切なことであるとは思いますが、迷惑をかけないというのは突き詰めるとどういうことかを考えて見ましょう。>・・・少なくとも、私の中では絶対に迷惑をかけない人間と言うのは「何もしない人間」だと考えています。>そうでしょう?何もしなければ何も起きないのですから。

 

そうでしょうね。空気のような存在ですね。

 

>教師に言われたことに忠実に従い、命令された事だけに従えば確かに迷惑はかからないかもしれません。>でも、こうした人間が学校の外に出たとき果たしてどうなるでしょうか。

 

きっと社会の歯車のような人間になるでしょう。

 

>実社会ではこうした命令された事だけに従っているだけの人間というのは、基本的に歓迎されないというのは大半の人ならば理解できると思います。

 

そうですね。そうあってほしいものです。

 

>指示待ちで自ら率先して学ぼうとせず、上の人間からの評価ばかりを気にしているというタイプの人は、どう考えても高い評価にはならないと考えるでしょう。>ただの機械の部品のような存在でしかないわけですから、それほど歓迎されない職場の方が多いのは明白です。

 

待ちの政治の実践ですね。とはいうものの、我が国には人手不足があります。にもかかわらず、頭脳不足という話は聞いたことがありませんね。ですから、考えの内容は、あまり尊重されていませんね。

 

>■学校の方針に何でも黙って従う優等生

 

>もう一つ懸念すべきなのは、こうした子供たちというのは問題のある教師の命令や明らかに不当な学校の命令にもそのまま従うだけだということです。

 

日本人には、意思がありませんからね。そのまま、上位の者の命令に従うだけです。おとなしい人間です。昔の兵隊映画に、’上官の命令は天皇陛下の命令だ。あそこの鶏を盗んで来い’ という台詞がありました。天皇の純粋に比べて、下士官の兵に対する命令には確かに違和感がありました。我が国の陋習ですかね。

 

>夏場の異常な暑さの中で体育を受けている中で死亡する学生も存在するのですから、普通の感覚ならば適切な場所で体育をした方が安全だということが分かるはずなのです。

 

リーズナブルな場所を選んで、体育をしたらよいですね。

 

>授業にせよ、なぜ多人数で全く同じ授業を受けなければならないのかということ自体が本来ならばおかしいと感じるはずです。物足りない人もついて行けない人も出てきてしまうのですから。

 

それは、そうですね。でもね、一般の社会でも能力の差は同じように存在しますね。

 

>このように、優等生と呼ばれる子供というのは結局のところ管理する側の教師や学校の運営において単純にとても都合がいい存在でしかないということが簡単に分かるでしょう。

 

そうですね。便利なロボットの様なものでしょうね。自己の意思を示せば、当事者・関係者となります。自己の意思を示さなければ、部外者・傍観者にとどまります。我が国は、世界の中に在って、世界に属していない。孤高の国か、哀しからずや。

 

>疑問を感じず、自分の意見を主張せず、命令に従うことが絶対だと考える人間は、本当の意味で健全な「良い子」なのでしょうか。

 

我々は、’考える人’ にならなくてはなりませんね。そうでなければ、国際人にはなれないでしょう。現実だけ知っているのでは、アニマルと同じです。

 

 

 

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閲覧数520 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2017/08/26 23:46
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