2017年08月31日(木) 

 

>『中央公論』8月号が「英語一強時代 日本語は生き残るか」という特集を組んでいた。>読みでのある特集だった。『日本語が亡びるとき』で問題提起をした水村美苗さんのインタビューが最初にあって、重要な指摘をしていた。

>一つはイギリスのムスリムの女性学者ふたりが日本を訪れたときに水村さんに言った言葉。>「その時、彼女らが、『日本では英語がまったく通じない。なんて気持ちのいい国なんでしょう』と言うのです。

 

不便な国といわないところがいいところですね。彼女たちの癌の重圧が解けた感じがしたのでしょうね。でもね、彼女たちは、英国には住めても、日本には住めないことを知っているでしょうかね。

 

>日本においてはみなが日本語で通じ合い、英語で通じ合えることがエリートのサインではない。

 

英語で序列形成は難しいですからね。かの地では、神々も下々も皆呼び捨てでしょう。

 

>英語ができる人が威張っており、収入もよく、社会の権力側に立つという構造になっていないと言うのです。

 

ところ変われば品変わるということですね。’できる・できない’ の区別ではなく、こちらは家元制度ですからね。

 

>パキスタンでも、インドでも、それからブラッドフォードでも、英語が流暢か流暢でないかによって、階層が作り出されている。

 

階級社会は、あまねく印欧語族の制度ではないでしょうか。

 

>現に彼女たちの親は、その英語のアクセントで、たんに言葉が流暢ではないというという以上の意味をもって、差別されている。

 

名前だけでも出身が分かるのではないですか。こうした差別は彼女たち社会の癌ですね。

 

>私は日本にはそういう構造の社会にだけはなってほしくないし、そうなるのを免れた歴史を大事にしてほしいと思うのです。

 

我が国は縦社会 (序列社会) ですから、おいそれと横社会 (階級社会) にはならないでしょうね。我が国には、それ相当な危険もありますからね。

 

>世界を見回せば、インテリが読む言語は英語で、それ以外の人が読むのが現地語だという国がいかに多いことでしょう。」(水村美苗「言語の植民地化に日本ほど無自覚な国はない」、『中央公論』2017年8月号、中央公論新社、28頁)

 

英語と現地語の二刀流はむずかしでしょうね。でも、日本人には二刀流が是非ひつようであると、私は考えていますがね。

 

>「私は最近いよいよごく少数を除けば、日本人は日本語が堪能であればよいのではないかと考えるようになっています。

 

タコつぼ型の思考ですね。それでは、我が国は民主国にはなれないようですね。衆愚の国のままになる。

 

>非西洋圏でここまで機能している言語を国語として持っている国は本当に珍しいのです。

 

そうでしょうね。おかげで、我が国は大国になりました。経済力は、万人の望むところですね。

 

>エリートも庶民も、全員当然のように日本語で読み書きしているという、この状況を守ること自体が、日本という国の使命ではないかとすら思います。」(同書、29頁)

 

上から下まで、切って揃えられたような能力の国になる。人手不足はあっても、頭脳不足は聞かれない。個人主義は育たない。個人主義は、利己主義と誤解されている。小刻みの序列形成により所得格差もすくない。

我が国の優れた制度・習慣をぜひ世界に広めたいですね。外国人が我が国で研修効果が上がるようにぜひ工夫を凝らしたいですね。でも、我が国がすべての点において世界の手本というわけにはゆかないですから、われわれの側にもなお一層の学習が必要です。

 

 

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閲覧数43 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2017/08/31 04:10
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