2017年09月06日(水) 

http://pret.yakan-hiko.com/2017/08/31/yamamoto_170831/

 

>先日、ブルームバーグで日本の地方経済の現実を端的に表す記事が掲載されていて、「ああ、これか」と膝を打ちました。

>もちろん、地方経済が人口減少で身動きが取れなくなっている、という本筋は同意するほかありません。

>日本一豊かなホタテの村も人手不足で四苦八苦、オホーツク沿岸の猿払

>しかしながら、この記事には「最低賃金では日本人の若い労働者が来ない」ので外国人実習生などに頼らざるを得ない、高齢者はこの先何年いられるか分からないという流れになっています。

 

同じ仕事の失敗の繰り返しに未来はない。自爆攻撃に次ぐ自爆攻撃、玉砕戦法に次ぐ玉砕戦法の様なものか。’頑張って!’ の一つ覚えでは、助からない。

 

>実のところ、私がほんのり福島県の復興のお手伝いをしているときに、地方の産業に貸し付けている金融機関の諸情報を拝見する機会があり、ほぼ相似形の問題を起こしていたのがこの「奴隷労働」問題です。

 

この国には何でもあるが、ただ夢と希望が無い。だから、人間は奴隷になります。

 

>もちろん、使用者側は適法な賃金で労働者を雇うわけですから、本件北海道の事案も復興途上の福島も決して悪い話でもまずいことでもないのです。

>経営判断として、必要な労働力を入れてくるにあたって、最低賃金でも働き口を求めて人がやってくるのであれば、そんなに給料を上げないという選択肢もあるでしょう。

>しかしながら、地方経済においてはいずれも事業継承ですらも満足に進められないぐらい、人材不足、後継者不足の状態です。

 

我が国には、人材不足の話はあるが、頭脳不足の話はありませんね。頭の活用が切り札になります。

 

>経営を続けられるだけのオーナーシップが存続できない以上は、身動きが取れなくなるのは当たり前のことです。>身売りしたくても先がなく、継がせたくても継ぐ人がいない経営者は孤独です。

 

そうですね。経営者にも、未来社会へ移行する発想が必要ですね。

 

>もしも、本当の意味で仕事を継続していきたいと企業努力を払うならば、常識的には最低賃金にこだわらず、雇用のために給料を引き上げたり、職場を魅力的なものにするために投資をしたり、地域の活性化のために利益を放出して人が働きやすいように、定着するように、未来が見えるように経営することが求められます。

 

そうですね。未来社会に関する構想が欠けていますね。新しい企業には頭が必要です。小国オランダは、米国に次ぐ世界第二の農産物の輸出国になりました。(See NATIONAL GEOGRAPHIC, SEPTEMBER 2017 p.82-109)

 

>地方経済の現実は人口減少で労働力が足りないことそのものよりも、働く人がより良く働ける仕組みを構築するための知恵がないことのほうが多いのが現実なのです。

 

そうですね。あるべき姿の社会に関する考察が必要ですね。

 

>「なんてひどい話なんだ」と肩をすくめるのは簡単ですが、問題はそういう地方経済の劣化の上に、我が国の都市生活が成り立っているという現状をどう判断するかです。

 

地産地消になるのかな。

 

>私が感じるのは、日本には「社会に生きる人を幸せにする技術を欠いている」のではないかという問題意識です。

 

明らかに、欠いていますね。日本人には世界観 (非現実) が無い。もっと良い世界の内容を個人的に発想する力がない。

発想は実現しない。発想には、正しい (矛盾のない) 考えと、正しい (忖度のない) 理解が必要です。矛盾のない考えは、すべて正しい。それぞれの個人の考えを護るために、個人主義が必要です。

 

>なぜもっと、よりよい社会にするために何が必要であるかを考えないのでしょう。

 

無哲学・能天気な人間には、未来社会に関する構想を発展させることは無理でしょう。英米流の高等教育が必要です。

 

>そこにあるのは、地方経済の担い手が高齢化していることそのものではなく、むしろ「自分たちの時代は、やりたいこともできないなか、我慢して努力してここまでやってきた」という自負の問題です。

 

自己の経験に自信がありますね。天下泰平の夢に裏切られることが無ければ良いのですがね。

 

>つまり、俺も苦労をしたから若い奴らも苦労をするべきだという考えが、どうも日本社会、とりわけ問題を抱えた地方経済のリーダーに多いように見えるのです。

 

悪平等の習慣ですね。これでは進歩が無い。

 

>おそらくは、人口も増えて右肩上がりであった時代の経済で生き残った人の知恵が、高齢化と人口減少社会にはマイナスの効果しか及ぼさなくなっていることに気づくことが無い、気づく機会も無いまま十年、二十年と経営を続けてしまい、いざ安い給料で働いてくれる若い人が身の回りにいなくなってみて初めて嘆いているのが現状だとするならば、日本にとってはまことに不幸なことだと強く感じるわけであります。

 

そうですね。まことに不幸ですね。脱出の努力を致しましょう。

 <日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。

私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)

 

 

 

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閲覧数386 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2017/09/06 14:34
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