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2017年11月01日(水) 

今日の朝刊で紹介された、江戸時代の外交資料「朝鮮通信使に関する記録」が世界記録遺産に登録されました。

静岡県にも深く関係する朝鮮通信使。文禄・慶長の役で挑戦にとっては許すことのできない日本であったが、江戸時代、朝鮮通信使の訪日は国交を回復する一手段であったようです。特に静岡市清水区興津の清見寺とはかかわりが深く、この寺には同通信使の一行が少なくとも4回立ち寄り、そのうち2回は一行が宿泊したという。静岡市では一行の行列を再現した祭りも開かれたという。

 

今回の世界遺産登録で再び脚光を浴びることでしょう。

清見寺訪問時の画像でご紹介します。

 

 市道から眺めた清見寺全景

 手前の山門も、通信使の書と言う。

 山門と境内の間を走る東海道線。

 

 

(本堂内部にある朝鮮通信使の書など。)

 

 (本堂内部の飾り馬音〈【武具など沢山〉)

 

一行は朝鮮から対馬にわたり、日本側の案内をつけ瀬戸内海を経由してから大阪まで船で。さらに淀川を別の船で登り、淀(宇治の方面?)まで行き後は陸路江戸(幕府)までの行程という。一行は470~500人規模の大集団。日本側の警護は1500人に上ったとの情報も。清見寺はその途中での宿泊地でもありました。

 

 (明治天皇の宿泊された玉座の間。)

 (清見寺自慢の山を借景にした庭園。)

 (五百羅漢像。)

 

朝鮮通信使の一行を掛川藩でも世話した記録があるようです。


閲覧数43 カテゴリ日記 コメント2 投稿日時2017/11/01 20:28
公開範囲外部公開
コメント(2)
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  • 2017/11/02 20:30
    shinobiさん
    掛川宿を朝鮮通信使が通過する時のおもてなしについて数年前に講義を聴きました。

    藩としてだけでなく、庶民もこれによってかなりたいへんだったらしいです。
    またその時の資料を探してみます。
    次項有
  • 2017/11/02 22:23
    shinobiさんへ
    掛川でもそのようなお話が出たことがあるのですね。
    興味深いです。
    資料発見の折りはお願いします。
    次項有
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