>(一部省略) >[自分の人生を生きるために] >ここまで書いてきたようなことは、実はみんなとっくに気付いていて、だからこそ「しかたない」「そういうもんだ」と言いながら日々の生活を営んでいるのだろう。
意思のあるところに方法 (仕方) がある。意思のない所には仕方がない。日本人には意思が無い。だから、’仕方がない’ のです。
>自分が家畜だったと気付くまでに費やした時間はもう戻らない。
楽ちんな人生だったわけですね。
>社会や親、学校が推奨してきたことが、多かれ少なかれ「労働のための奴隷化」のプロセスを含んでいたという事実は覆らないのである。
それは、ウイン-ウインの関係でしたね。
>しかし、そんな世の中だからこそ私が言いたいのが「社畜を抜け出したければ、一つでいいから人生に『やりたいこと』を見つけろ」ということだ。
自由な人生は良いですね。でも、日本人には、夢と希望がありません。未来の内容は、想定外になっています。
>要は、「人に飼われる生活を送るのがイヤなら、受動的で目標の無い人生をあらためて、やりたいことを見つけたうえで、一人で「餌をとれる」ように努力しろ」ということだ。
日本人には意思が無いのだから、受動的な人生になりがちですね。他力本願・神頼みかな。恨み節になりがちですね。
>特に、未だ若い少年少女には、ここまでに書いてきた残酷な社会の真実を踏まえたうえで、この言葉を受け止めてほしい。
残酷なとは、酷評ですね。お変わりなければ、天下泰平の眠りの世の中ですね。
>学校の勉強なんて、そこそこでいい。>親や先生の言うことなんて話半分に聞いておけ。>なぜなら、それは「他人の人生に奉仕する『家畜』としての『いい点』の取り方」でしかないからだ。
自主性のない人達には、滅私奉公も一つの生き方かもしれませんよ。
>その代わり、自分の興味があること、面白いなと思ったことを突き詰めて考えて欲しい。
それほど深刻にならずとも、面白いことは見つかるでしょう。
>行動してほしい。>それをどうすれば、自分の力で「餌を取る」ことにつなげられるか、それをひたすら考えて欲しい。
意思が無いので、とかく能動的行動も難しいでしょうね。
>その上で必要だと感じたら、たくさん勉強して、学びたいことが学べる大学に入ってみればいい。
そうですね。必要なことが見つかれば、勉強をすると良いですね。
>大切なのは学歴ではなく、「何のために学ぶのか」「学んだことをどう生かすのか」ということだけだ。>単に学歴だけ獲得しても、それは権力者たちへ提出する「従順(おりこうさん)の証」でしかない。
学習と学歴が乖離しているところが我が国の教育の問題点ですね。この乖離が我が国の学歴の名を貶めています。
>それをハッキリさせたうえで、確かな知識と実力とを身に着けられれば、君は飼われるだけの家畜ではなくなる。>自分で餌を獲得しながら、世の中を渡り歩いて行ける。
日本人には、自主性が必要ですね。無意思では、それも難しいですね。英語には時制がある。だから、英米人には意思がある。日本人にも英語は必要です。
>それでも「やりたいことが無い。見つけるのも億劫だ」という人は、長いものに巻かれる人生を選ぶのも一つの選択肢ではあるだろう。
日本語脳の持ち主で、無哲学・能天気だとそういうことになりますね。
>しかし、覚悟してほしい。そうした受動的な姿勢の先に待っているのは、真の意味では他人のために生きる人生だ。
そうですね。でも、意思がなければ能動的はありませんね。
> 勤務地(住む場所)も、働く時間も、仕事の内容すら選べない。
それが嫌なら自由人になればよい。
>「いい点」をとることだけを考えて生き、「会社のために身をささげろ」と言われた私のような人生だ。
序列昇進の夢でしたね。
>それは、他人に気に入られるためだけの人生を歩むということであり、その人らに自分の生殺与奪の権利を預けるのと同じことだということだ。
自主性のなさを示していますね。
>そういったことを今一度考えてから、将来の道を決めて欲しい。
意思のあるところに、方法 (仕方) はありますね。Where there’s a will, there’s a way.
>(一部省略) >最後に考えて欲しいのは、それがまぎれもない「あなたの人生」だということだ。
そうですね。でも、無哲学・能天気な人には難しいですね。一人ひとりに哲学は必要です。Everyone needs a philosophy.
>不平不満を垂れ流した挙句、後悔にまみれて列車に飛び込むような結末だけは、どうか迎えないで欲しい。
そうですね。我々は、もっと自由に生きたいですね。世界観を持たないと、この世の閉塞感にさいなまれます。
>「いい点」を取って、命令に従順に従う人生でいいのだろうか。>いい学校・いい会社・いい生活と云う幸福論は、元々幻想だった。
そうですね。それは、この世の処世術というものですね。
>その実態は、「与えられた環境で、与えられた義務を黙ってこなす力」を身に付けさせる教育だったいう事だ。
そうですね。だが、自由な発想は難しいですね。ですから、常に発想は他から ’与えられた’ になります。
>其処から脱出する為には、自分達の生きる場は自分達で作っていく意思を持つ事だ。其処から可能性が開かれる。
日本人には意思が無い。だから、我々には意思を持つことが難しい。それでも、可能性が開かれると良いですね。
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