2017年12月19日(火) 

 

①現実の内容は、頭の中にある。非現実の内容は、頭の外にある。両者の内容は所在が違うので、同じにならない。非現実の内容は、考えの内容である。現実の世界は一つで、非現実の世界は、過去・現在・未来と三つある。非現実の世界は、時制のある文章内容として語られる。だが、日本語には時制が無いので、日本人には、考えが無い。論客は、ああ言えば・こういう。ああでもなければ・こうでもない、あれではいけない・これではだめだ、という。だが、自分はどうであるかを決して言わない。自分には、考えというものが無いからである。だから、受け売り専門になる。かくして、不毛の議論は避けられない。

 

山本七平は、自著 <ある以上体験者の偏見> の中で、反省の押し売りに関する疑問を、下の段落のように述べています。

、、、、、私が常に不思議に思うことは、戦前の「恥を知れ、反省しろ」であれ、新井宝雄氏の「反省が見られない」であれ、本多勝一氏の「恥としなければならない」であれ、軍隊の「キサマラ、反省がタリン」であれ、「恥を知れ、処決せよ」であれ、たえずこの言葉を口にするこの人たち自身が「自らを律しそれを基準にして生きている主義」は、一体全体、何という主義だったのだろうかという疑問である。(引用終り)

 

②時制がなければ、考えの内容を入れる構文ができない。だから、日本人の想いは、バラバラな単語のままで存在する。意味もなければ、矛盾も指摘できない。意味の理解は諦めて、忖度・推察に専念する。’だって、本当にそう思ったのだから仕方がないではないか’ と弁解する。だから、日本人には理解が無くて忖度がある。独りよがりで現実直視は難しい。

 

カレル・ヴァン・ウォルフレン氏は、<日本/権力構造の謎・上>の中で、日本語の”理解”について下記のごとく述べています。

“信念”が社会・政治的状況によって変わり、”リアリティ”も操作できるものであるとすれば、多種多様な虚構 (フィクション)を維持するのはかなり容易になる。このような虚構によってもたらされる国際的な言語表現上の混乱は、日本の評論家や官僚が”理解”ということばを口にするときの特別な意味づけによって、さらに複雑になる。”相互理解”をさらに深めることかが急務である、という表現をもって強調されることが多い。

ところが、たとえば日本語で「わかってください」というのは、「私の言っていることが客観的に正しいかどうかはともかく、当方の言うことを受け入れてください」という意味の「ご理解ください」なのである。つまりそこには、どうしても容認してほしい、あるいは我慢してほしいという意味が込められている。したがって、このように使われる場合の”日本語”の理解は、同意するという意味になる。だから、”理解”の真の意味は、その人や物事を変えるだけの力が自分にない限り、そのままで受け入れるということである。、、、、、(引用終り)

 

③日本人には意思が無い。意思は未来時制の文章内容である。しかるに、日本語文法には、時制 (tense) というものがない。だから、日本人には意思が無い。かくして、優柔不断・意志薄弱に見える。意思が無くては、方法 (仕方) がない。仕方がないから、あきらめる。無為無策でいる。座して死を待つのか。

 

カレル・ヴァン・ウォルフレン (Karel van Wolferen) 氏は、<日本/権力構造の謎> (The Enigma of Japanese Power) の<日本語文庫新版への序文>の中で下記の段落のように述べています。

、、、、、日本の政治を語るうえで欠かせない表現の一つである「仕方がない」という言葉を放逐することに、本書がいささかなりとも役立てばと願っている。本書は、本当の意味での政治参加をさせまいとして日本に広く作用する力について詳述している。この力こそは、個々人の、市民になろうとする決意と、有効に機能する民主主義を守ろうという意志を弱めるものである。日本に作用するこの力は、独裁政権があってそこからくり出されてくるのではない。それは日本の社会環境のあらゆる場所から発現する。、、、、、この力こそが、多くの日本人が身をおく境遇に対して唯一、適当な対応は「仕方がない」とうけいれることだと思わせるのである。(引用終わり)

 

④日本人には意思が無い。優柔不断・意志薄弱な態度を改めさせるのにはどうするか。その時は恣意を利用する。恣意 (私意・我がまま・身勝手) を意地・根性として鍛え抜く。恣意はどこの国でも認められていない。日本独特なのであろう。意思には文章があり、リーズン (理性・理由・適当) がある。恣意には文章が無く、アンリーズナブル (理不尽) である。’何が何でも’ である。洗脳された通りに動くしかない。はたして、日本兵は強いか。

 

 <日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。

私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)

 

⑤意思があれば、加害者意識もある。意思が無ければ、罪の意識も無い。だから、深刻な反省にはいたらない。’過ちは繰り返しませぬから’ と誓う人もいるが、加害者意識が無くては、何が過ちであるかを指摘することも難しい。西洋人は、思春期になり言語機能が発達すると罪を意識するようになるので入信を始める。日本人は、大人になっても罪の意識が無いから、贖罪のための宗教 (キリスト教) もはやらない。大人でありながら、罪の意識のない人達を見るのが恨めしい。

 

肥田喜左衛門の著した <下田の歴史と史跡> には、責任に関する下のような事柄が記されています。

徳川5代将軍の治世、佐土原藩の御手船・日向丸は、江戸城西本丸の普請用として献上の栂 (つが) 材を積んで江戸に向かった。遠州灘で台風のため遭難、家臣の宰領達は自ら責を負って船と船員達を助けようと決意し、やむをえず御用材を海に投げ捨て、危うく船は転覆を免れ、下田港に漂着した。島津家の宰領河越太兵衛、河越久兵衛、成田小左衛は荷打ちの責を負い切腹する。これを知って船頭の権三郎も追腹を切り、ついで乗員の一同も、生きて帰るわけにはいかないと全員腹をかき切って果てた。この中には僅か15歳の見習い乗子も加わっている。鮮血に染まった真紅の遺体がつぎつぎに陸揚げされたときは、町の人々も顔色を失ったという。16人の遺体は、下田奉行所によって大安寺裏山で火葬され、同寺に手厚く葬られた。遺族の人たちにはこの切腹に免じて咎めはなかったが、切腹した乗組員の死後の帰葬は許されなかった。(引用終り)

 

 

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閲覧数548 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2017/12/19 08:43
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