2017年12月26日(火) 

 

 

カレル・ヴァン・ウォルフレン (Karel van Wolferen) は、<日本/権力構造の謎> (The Enigma of Japanese Power) の<”ジャパン・プロブレム”>の中で下記の段落 (>のついた文章) のように述べています。

 

>、、、、、日本の社会でいう “現実” (リアリティ) とは、客観的に観察した結果としての実際の事実というより、心情的なイメージに合わせて構築された、そうあるべき “リアリィティ” だからである。

 

そうですね。現実から得られた忖度 (推察) ですね。忖度は本人の勝手な解釈ですから、その内容は現実離れしていますね。

現実の内容は、頭の外にある。忖度の内容は、頭の中にある。両者は所在が違うので、内容も同じにならない。忖度は理解になっていない。

‘だって、本当にそう思ったのだから仕方がないではないか’ という言い訳は、現実の理解とは関係が無い。忖度は、現実直視になっていない。

 

>そしていうまでもなく、望ましいと想定されるイメージは、そのときその人の属するグループの利益と一致することが多い。 、、、、、 

 

そうですね。日和見主義の追求のようですね。独りよがりによる自己慶賀といったところでしょうね。’神風が吹く’ ようなものか。

 

>西洋では、現実はそうやすやすと管理されたり、意のままに作り変えられたり、相談で決められたりするものとは、考えられていない。

 

現実を理解する内容は、現実から忖度 (推察) する内容とは違いますね。忖度の内容は、現実を離れて談合で決めることが出来ます。

 

>つまり、こうあるべきだという任意の考えによって左右されるものとは考えられていない。

 

そうですね。現実に関する自分勝手な解釈は許されませんね。日本人の場合は言語環境が不完全で、文章で ’理解する’ というよりも、バラバラな単語を材料にして、忖度 (推察) に耽る。これは空気の研究というべきか。現実離れして、現実を忘れる。付和雷同は、我々の真の力と言うべきか。

山本七平は「『空気』の研究」のなかで、その心情の事を指摘しています。

「驚いたことに、『文藝春秋』昭和五十年八月号の『戦艦大和』でも、『全般の空気よりして、当時も今日も(大和の)特攻出撃は当然と思う』という発言が出てくる。この文章を読んでみると、大和の出撃を無謀とする人びとにはすべて、それを無謀と断ずるに至る細かいデータ、すなわち明確の根拠がある。だが一方、当然とする方の主張はそういったデータ乃至根拠は全くなく、その正当性の根拠は専ら『空気』なのである。最終的決定を下し、『そうせざるを得なくしている』力をもっているのは一に『空気』であって、それ以外にない。これは非常に興味深い事実である。」と書いています。

 

>事実、西洋の哲学または西洋の常識の基礎は、人間にはつきものの自己欺瞞をおさえるには、妄想や幻想を入り込ませないようつねづねよく注意することだと教えている。

 

文章が無いのであるから、意味もなく、矛盾さえも指摘できませんね。ですから、日本人の脳裏の内容は、哲学にはならずして空想・妄想・幻想になる。日本人は、思春期が来て、言語能力が発達しても、’考える人’ にはならない。’物思いにふける人’ になる。我が国は、風流な歌詠み文化の国なのか。

文章は理解につながり、議論につながっている。バラバラな単語は忖度 (推察) につながり、談合につながっている。文章の世界は言語の世界であるから、英米は書物の輸出国になった。単語の世界は非言語の世界であるから、製品を通して世界に輸出された。

日本人の精神活動は、文章に表すことが出来ない。人の心から心へと直接伝えられる。以心伝心・不立文字。物に込められた日本人の心は、国際間の言語障壁をものともせずに乗り越えて、直接外国人の心へと伝えられている。非言語の威力は我が国を技術立国にしたうえに経済大国にまで押し上げた。

 

>ギリシャ文明以来、西洋の知の発達の歴史を貫いてつねに強調されてきた戒めが一つあるとすれば、それは、「矛盾を育むなかれ」ということである。

 

矛盾を含まない考えは、すべて正しい。矛盾を含む考えに、正しいものは無い。文章が無ければ、意味もなく、矛盾も指摘できな。日本語には、非現実 (考え) の内容を表す文章が無い。だから、日本人は考える人になる事が難しい。

司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、バラバラな単語でない文章の重要性を強調しています。

「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」

 

>この戒めは、論理、数学、科学の根本法則である。(引用終り)

 

そうですね。’矛盾を育むことなかれ’ は、学問の成り立つ根本原理ですね。日本人の英米流の高等教育に対する価値はきわめて低い。我が国で、大学不要論の出てくるのも無理はないのでしょうね。この無理解を克服することは、極めて難しいようです。東は東、西は西か。

 

 

 

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閲覧数81 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2017/12/26 13:22
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