>私が今読んでいる羽生善冶の著書「闘う頭脳」の中に宗教者 山折哲雄氏との対談があり、その中に人間関係について書かれたところがあった。>すこし考えさせられる部分もあり、次代の人間関係とは追求関係になる、その上でヒントはないか考えた。>対談の中で山折氏の語っている部分を紹介したい。
あなたは、受け売り専門の方ですか。
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>私は敗戦のときは旧制中学2年でだからずっと戦後の教育の世界を経験してきているわけです。 >その間、人間関係ということが叫ばれ続け、学校でも会社でも「人間関係が大事だよ」といわれ続けてきた。
‘信なくば、立たず’ ですね。
>親子の関係も人間関係、教師と学生の関係も人間関係、上司と部下の関係も人間関係。>その人間関係さえよくすればいいんだと。
‘和をもって、貴しとなす’ ですか。
>これ、戦後民主主義の一つのイデォロギーだと思いますね。>その結果、いま人間関係が壊れてきたという現実があるわけです。
そうですね。我が国の縦社会の人間関係は壊れてきましたね。
>なぜそうなったのか、私はやっぱり人間と人間の関係には”垂直”の関係もあると。
ありますね。’上とみるか・下とみるか’ の人間関係が把握できないと日本語も満足に使えなくなりますね。
>もちろん"水平”のというか「ヨコの人間関係」は大事だけれども、先輩から後輩へ、年長者から若年者へ、あるいは先行者から後継者へと「タテの人間関係」で技術とか考え方とか価値観を伝えていく。
そうですね。我が国に、老舗が多いのもそうした理由によるのでしょうね。
>その垂直の関係を伝統的な言葉でいうと、「師弟」の関係という事になるわけですが、それをほとんど否定的に捉えてきたのが、この戦後60年間だった。
そうですね。異文化の影響によるものですね。
>そういう水平の人間関係を強調するあまり、技術を、技を、価値観を伝えていく、いわば背筋が通った垂直の関係が希薄になった。
党派的なところが、希薄になりましたね。西洋人のように、態度がデレデレとしてきました。
>それが今日、人間関係が不安定になった最大の原因だと思うんです。
序列関係で人間関係を安定化させたら、また江戸時代に戻りますね。
>弟子が師匠を報いるということは師を越えることで、それはある意味で裏切るという事ですよね。
下剋上のようなものですか。
>つまり新しい技術を創りだすことは言葉を換えれば技術的に裏切るということですからね。
実学 (技術) の進歩は、人類の進歩ですね。
>その裏切る瞬間、裏切って乗り越えていく関係はほとんどライバルの関係になっている。
横綱を倒す平幕の様なものかな。
>だから師弟の関係とは本来的にはそういう緊張関係を内包している。
自己の発想による競争は、疲れても楽しいものですね。
>そうなるとこれはもう技術と技術の戦いだけではなく、どうしても人間と人間の戦いにならざるをえない。
技術 (現実) 対技術 (現実) の関係は、千変万化しますね。人間対人間の戦いは、ゲームの様なものでしょう。
>だから人間を鍛えることにもつながるし、価値観とか世界観を後世に伝えていく重要な戦いの場でもあるわけです。
個人の価値観 (非現実) や世界観 (非現実) は、文章になって海外にも、後世にも伝えられるでしょうね。個人主義の花が開くでしょう。
…………………………………………………………………………………………………………………………. >追求を中心にした人間関係を表すのに何が適切だろうか?
自由・独立の人間関係でしょうね。
>水平な関係ではなく垂直な関係。>師弟の関係かもしれない。
弟子が師に教えを乞うやり方ですか。序列の発想法ですね。
>「先行者から後継者へ」という関係もしっくりくる。
先輩・後輩の関係のようなものですね。序列作法も定まり、しっくりしていますね。
>そしてやがて後継者が先行者に並び追い抜いていく。
下剋上ですね。
>それも追求関係の中にある。
同次元・序列の発想法ですね。
>最も必要なのは互いに人間力を鍛える戦いの場であり、親和の場でもあるという事。
そうですね。
>現在の学校教育が同じ学年を集め、水平の人間関係しか作らない事もまた追求を阻害している。
人類の社会は、垂直の人間関係にはならないでしょうね。
>仕事の場面では少なくとも水平の関係ではない。
それは責任に関する関係ではありませんか。日本人には意思が無い。だから、責任感が無い。この国がひっくり返った時にも、責任者は出なかった。人間の上下関係と責任関係が一致しない。とかく、この世は無責任。
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