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2018年02月05日(月) 

掛川城御殿の庭に入るとこのような石がぽつんと置いてあります。

石には「右巡礼へ」「左掛川へ」と刻まれています。

これは本来掛川城御殿にあった物ではなく、適当な置き場所がなかったので仮置きしたようです。

ではどこにあったのか?と言うと掛川市原田付近(寺田)の塩の道にあったものです。

これを地元の中学生が見つけて市役所に知らせて現在の状態に置かれるようになりました。

 

私もこの場所の手前までは塩の道探索に行った事がありますので、およその場所は分かります。

私が探索したのは夏だったので地元のおばあちゃんから「マムシが出るで」と言われてそれっきりになっていました。

 

そのおばあちゃんは当時88歳だったですが戸綿(森町)から嫁いでくる頃は峠に茶店があり、馬の水のみ場が有ったそうです。

 

きょうなぜこの話題になったかと言うと、この道標を地元に返して欲しい云々の話を聞いたからです。

御殿に置いておくよりも元に戻してあげた方が良いに決まっていますが、元の場所は草ボウボウで誰も通りません。

そこで埋もれてしまうのも残念かな?と複雑な心境です。


閲覧数1,547 カテゴリ日記 コメント4 投稿日時2018/02/05 22:08
公開範囲外部公開
コメント(4)
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  • 2018/02/06 09:21
    塩の道、興味が湧きますね。
    確か、韋駄天太郎さんが、塩の道を歩いたと思います。
    相良より浜岡新野地区を通るルートだったような気がします。
    掛川・森と抜けていくのでしょうか?
    次項有
  • 2018/02/06 11:28
    鉛筆shinobiさん
    相良で採れた塩は陣場峠を越えて掛川宿に入り、塩町付近から東海道に合流します。
    そのさき現在の鳥居町で東海道と分岐して3つのルートがあったと地元の人が言ってました。

    その1本が我が家の横の道です。
    いまでは車が通っていますが子供の頃はリヤカーがやっと通れる狭い道でした。
    でも祖母はかいど(街道)と呼んでました。
    次項有
  • 2018/02/07 09:50
    かいどとは子供の頃から聞きなれた言葉です。
    「街道」のことだったのですね。
    この年で初めて知りました。

    追分や三叉路などの言葉も大人になって知った言葉です。
    次項有
  • 2018/02/07 23:03
    鉛筆shinobiさん
    > みつちゃんさん
    私も塩の道の探索まで「かいど」の意味を知りませんでした。
    それと当時の街道が曲がりくねっている訳も知りました。
    (田んぼなど農耕地を避けて道が出来たらしいです)
    次項有
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