昭和55年の頃は娘もいないし、夜昼働いて、夜は飲食店の会計係を
していました。このお店はチェ―ン店で、静岡にもお店があり
良子ちゃんは静岡のお店に勤めていて、その日は私も月一回の
会議に出席する予定でした。
平成3年の日記から 正ちゃんの知らない良子ちゃんのこと 主人と知り合っていない昭和時代のアクシデントです。 私のお友達の良子ちゃんという人は、じいじ「私の祖父」が好きで よく実家に遊びに来ました。一緒にカラオケに行ったり着物や靴や 指輪まで私は頂いたことがあります。そしてね良子ちゃんが 静岡のガス爆発の時。ちょうど西部前に居てね。救急車が間に合わないので けが人をタクシーで一生懸命運んだんだから、その日ね私も会議で 静岡に行く日だったの、でもね、2回も爆発があって、死傷者が出た後でしょ、まだ煙が出て居るところに行くんだから、実家でも反対されてね もし命に関わったらどうするって;;;でも私は大事な会議があるからって 行っちゃった。そのときね、3回目の爆発の予報があったので、怖かったけど、消防自動車から、水が出て居る間を通り抜けて、会議してして来ちゃった。というのは静岡の友人の良子ちゃんが、無事でいるか会いたかったので、自分のことを顧みずに、爆発の日でも行っちゃった。::: |