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2018年03月13日(火) 
 1988年(昭和63年)3月13日の東海道新幹線(夢の超特急)掛川駅開業から30年になる。
 数日前に逝去された当時の榛村純一市長(平成の大合併の前の旧掛川市)の尽力で実現した。
 当初は、こんな小都市への設置は東海旅客鉄道(JR東海)から相手にもされなかったが、静岡駅と浜松駅の駅間は東海道新幹線全体で最長であり、近隣市町村を含めればそこそこの乗降客が見込めるという主張と、運行障害時の退避駅として有用という主張と、在来線(東海道本線)が並んで走っていて利便性が高いという主張など、粘り強い交渉の末、全額地元負担という条件のもとで設置された。
 1993年に開設された東名高速道路掛川インターチェンジと違い、停車のために約5分間の所要時間拡大という弊害があるため、東海旅客鉄道が難色を示したのである。其れもあって、停車車両はこだま号(各駅停車)のみである。
 当初は退避駅として6線4面の計画が立案されたが、予算の都合で4線2面となった。電子計算機のアシストによるダイヤ編成の効率向上もあって、退避駅の必要性が薄れたこともある。
 東海道本線と並走してるが、掛川の東西で僅かにカーブしているため、新たな双曲線分岐器が開発されたものの、分岐の長さが長くなって建設費が嵩んだ。因みに、東海道本線と並走してるのは、戦前の弾丸列車計画の際に浜名湖の鉄橋が爆撃で不通になった際に二俣線(現・天竜浜名湖鉄道)への迂回を考えて掛川駅を作る前提で所用時間が10分間程度長くなることを承知でルート選定が為され用地買収が行なわれたためである。
 其れでも建設費は120億円に達した。30億円が市民や地元企業からの募金で賄われたこと(1軒10~20万円の実質的ノルマが有った)、近隣市町から20億円の出資が有ったことは、特筆すべきである。
 新幹線駅開業までは掛川駅には南口(新幹線口)がなく、駅の南はのどかな田園地帯であったが、今ではホテル等のビルが立ち並んでいる。
 開業当初から間も無くはこだま号は12両編成であったため、予算の制約で、16両編成となった今でもホームの13号車~16号所の停車位置には屋根がない。因みに、開業当初にはこだま号には“遅い”0系の車両が使用されていた(其の後、ひかり号とこだま号で同じ車両を使いまわすことでダイヤ編成を効率化するため、こだま号にもひかり号と同じ16両編成の新型車両が投入された)。
 其の後、掛川駅の在来線用の駅舎が老朽化したが、唯一の木造の新幹線停車駅を残そうという運動が起こり、木造壁面を残したままで改修が行なわれた。但し、木造は北口のみであり、南口(新幹線口)は当初から木造ではない。

閲覧数141 カテゴリ日記 コメント0 投稿日時2018/03/13 04:30
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