2018年03月13日(火) 

 

 

> (以下引用)―――――――――――――――――――――――――――

>皆さんは「ニセ科学」って聞いたことありますか?>その論理過程に飛躍があったり誤魔化しがあったりするのに、科学っぽい体裁や理屈を整えて、いかにも科学的根拠に基づくしっかりとした発見や発明かのように主張する理論や製品を指します。

 

そうですね。文章内容に矛盾を含むものは、正しい考えにはなりませんね。科学の名を語り、客を安心させて自己の製品を売りつけて金儲けをしている人もいますね。

 

>「□□でガンが治る! ◯◯大学の△△博士が学会で発表!」とか、「最新科学で判明!△△のパワーでお肌が若返る」とか、「◯◯は身体に良い/悪い」とか、「△△で放射線が除去できる」など、色んなパターンがありますが、特に健康系の話に多いようです。>有名な血液型性格判断もその代表例ですね。

 

そうですね。生命科学は大切ですね。何事も、命あっての物種ですからね。

 

>それらの話はちょっと聞いてみれば、バイアス(偏見)たっぷりの統計が使われていたり、実験結果の数値の解釈が結果ありきで恣意的だったり、大事な情報や前提条件を隠していたりと、多くの場合、およそ暴論あるいは完成度の低いものです。

 

そうですね。だから、相手の説を受け入れる前に学者は慎重に議論をする必要がありますね。議論が十分なされていない説については、なお矛盾を指摘する余地があるでしょう。

 

>真偽を決めるのを置いておいても、少なくとも疑問点は山ほど出てくるので、疑問点が全て解消するまでは、そのまま本気で信じたり実行したりという気持ちにはなかなかなりません。

 

疑問点は、次から次へと出てきますから、際限がないでしょうね。論文内容に矛盾が無い限り、その内容を正しい考えとして信用ことになりますね。

 

>しかし、そんな「ニセ科学」は実際に世の中に大変に広まっており、多くの方々に支持されています。

 

そうですね。残念なことですね。日本人は、議論が得意でないこともあるでしょうね。

 

>書店などで、この手の本が平積みされているのを見かける度、科学教徒を自負する私は非常に寂しく、悔しい気持ちになります。

 

我々は、考える人になることが必要ですね。英米の高等教育は、英語の再教育になります。これは、正しい考え方の練習でもあります。正しい考え方のできる人は、教養ある人と言えるでしょう。彼らの議論は有用です。

 

>この光景こそが、まさにこの社会に「科学の教え」が普及してないことを示す象徴だからです。>でも、不思議ですよね。>道行く人に「科学は好きですか?」とか「科学を信じますか?」とか聞くとおそらく多くの人は「はい」と答え、一部を除きあまり否定的な意見は少ないでしょう。

 

現実を組み込んだ考え (哲学) の方が、現実を無視した哲学よりも頼りになる気がするのでしょうね。

 

>また、大衆だけでなく、政治の決定や裁判での判決などの、社会の中枢の重要な判断でも、多分に「科学的」であることが求められています。

 

そうですね。科学という言葉を聞くと、なんだか安心しますね。

 

>そう、一見して、この社会の仕組みは「科学」を基軸に回っているように見えます。>やっぱり、この社会の人々は「科学」を大事にしているように見えます。

 

今は、科学の時代ですね。

 

>それなのに、なぜ「ニセ科学」は蔓延してしまうのでしょうか?

 

偽には、偽であるとの断定が必要です。根拠を示すことなく、’偽’ 呼ばわりはできませんね。

 

>気になりますよね。>私も気になったんです。>ということで、今日は「ニセ科学」をテーマにボーッと考えて行きましょう。

 

興味ぶかい話になりますね。

  

>科学という名の宗教

>「現実に沿うこと」や「役に立つこと」の視点で見てみれば、宗教の時代から科学の時代に移ったのは、ただの「宗教の代変わり」なだけとも言えます。

 

学問の始まりは、修道院からであると言われていますね。

 

>「神様が物を動かしていた」と説明するより「運動方程式に基いて物が動く」とした方が精度も高く予測もでき便利が良い、「神様にお祈りを捧げる」より「科学理論の導く高度な道具や機械を発明する」方が実益がある――だから「科学」を信じよう。

 

それは、賢いやり方でしょうね。神様には、派閥がありますからね。

 

>先ほどから述べているように、このような人々の考え方は、中世の宗教支配を打ち破った近代の科学革命の時だけでなく、現代生きる私たちでさえ、思っていることなのでしょう。

 

現実に合わない説明は、やめたほうがいいですね。信頼を失うもとになりますから。

 

>しかし、これはただ、「宗教」より実益につながるものが出てきたから、「宗教」をその代わりに「科学」にしてみたと言っているのに過ぎません。

 

実験・観察から出てきた結果に基づいて得られた結論に魅力がありますね。

 

>なにせ「宗教」を信じる時の構図と全く同じなのですから、これはただ「科学教」を崇めよう、と言っているのと全く変わりありません。

 

そうですね。宗教も科学もその内容は、頭の中に存在するのですから、見ることが出来ません。考え (哲学) は、ただの ‘話’ だけです。ですから、いつでもその内容を変えられる。だから、科学は進歩する。宗教だって、改革運動はあります。宗教も話だからです。

 

>そして、ならばこそ、「科学」より役立つものがあるなら、乗り換えても不思議ではありません。

 

そうですね。

 

>科学を宗教と言ってしまう向きには、反発もあるかもしれません。

 

科学は科学哲学、宗教は宗教哲学ですね。共に哲学であり、高等教育の場で教えられていますね。

 

>「科学は現実に即して客観的に見る学問で、主観的な見解だらけの宗教などと一緒にするな」>そんな意見もあるでしょう。>ですが、どんな科学理論でも、実はどこかで信仰が入っているのです。

 

信仰というか、どちらも考え (哲学) の産物ですね。

 

> 例えば、科学的に「実験でこういう結果がでた、従って◯◯という法則が成り立つ」などと主張した場合、「絶対にその実験が間違っていないのか」と聞かれると実は答えられません。

 

矛盾の含まれていない考えは、すべて正しいですね。話はいくつあっても、すべて正しい考えです。間違いは、どこにでも存在するでしょうね。見つけ次第訂正すればよいでしょう。そうした議論の態度が貴重です。

 

> 頑張って「何度も何度も実験しなおしたし、他の研究室の偉い△△先生も同じ実験をして同じ結果だったと言っていた」などと反論しても、「その実験全部失敗だったかもしれないじゃないか、偉い先生だってミスすることもあるだろう」と言われると困ります。

 

‘だろう、だろう’ 水かけ論ですね。仮定の質問には、答えられませんね。確たる論拠を自分自身で示して反論するのが正道ですね。

 

>さらに「仮に実験が全部正しかったとしても、それはあくまで今日まで成り立つ法則で、明日以降、世界の法則が変わらないという保証は無いよね?」なんて追い打ちされるとお手上げです。

 

論旨の矛盾を指摘しなければ、議論になりませんね。矛盾を見つけられなければ、それが正しい証拠になります。高等教育で培われる教養は、物分かりの良い人間を作ります。

 

>そう、どんな科学理論でも、「絶対に正しい」とは言えないのです。

 

考えですからね。正しいものは、山ほどある。絶対に正しいとは言えないから、科学は常に進歩する。

 

>理論にしようとすれば、どこかで必ず「いっぱい実験して同じ結果だったから、間違ってないってことにしよう」とか「今まで成り立っていた法則は、明日以降も成り立つってことにしよう」という決め付けが入ってしまうのです。

 

それが、考えというものです。

 

>残念ながら、このような科学理論における「そういうことにしよう」は、宗教における「神様がやったってことにしよう」というような「信仰」と本質的には区別することはできないのです。

 

そうですね。どちらも個人の考え (哲学) ですからね。どちらもその内容は、見てきたような嘘になります。そうした議論を学者は、楽しんでいます。無哲学・能天気の人間や子供には、理解できない世界です。

 

>私たちはどこまでいっても、科学教徒なのです。

 

科学哲学は現実の世界で力を持っていますね。

 

>科学と社会の共生関係が崩れる時

>この状況には科学教徒の方にも反省すべき点があります。>それは、社会的に「科学」の地位が広まっていることに油断して、社会の人々にしっかりと「科学」の教義を伝えることができていないことです。

 

科学も宗教も個人の考え (哲学) ですから、個人を大切にしたいですね。個人主義の確立が必要です。

 

>今日、社会的に「科学」の地位が高いのは、あくまで「役に立つ学問」だからであって、残念ながら「科学の教え」を皆が理解し、共感しているからでは無いのです。

 

実学 (科学的な技術) は役に立ちますね。宗教は、信徒を区別しますが、科学技術は利用者を区別しません。おかげさまで、海外にも通じる力を持つことにより、我が国は経済大国になりました。

 

>科学教徒が少なくても、このような一見「科学」を信奉する社会になるのは、科学と社会との間に、共生関係があるからです。 

 

そうですね。科学を専攻していない人でも、科学的な技術の恩恵を被ることが出来るからです。

 

 

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閲覧数469 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2018/03/13 13:56
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