2018年03月26日(月) 

 

 

>学歴が社会で役に立たないことは周知の事実。

 

そうですね。学歴社会でありながら、学歴が社会では役立ちませんね。

 

>この状況だからこそ、大学は学生にとって魅力のある方針を打出さなくては生き残れないはずだが、日本の最高学府である東大では自身の権力争いに終始しているようだ。

 

そうですね。権力が彼らの最大の関心事だからでしょう。

 

>こんなことしかしていない総合大学に意味があるのかと感じてしまう。

 

一般の日本人にとって大学の中身を吟味することは、非常に難しいですね。

 

>受験生がこの現実を知れば、学歴信仰の幻想が覚めるのではないかと期待して、以下に紹介する。

 

そうであれば、良いのですがね。

 

>□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

>教養学部は黙ってろ!東大教授の「学部間差別」厳しすぎる裏側 ここまで露骨だとは…>リンク

 

序列メンタリティをもつ人間は、その環境により、自分の気分・態度が大きくなったり・小さくなったりしますからね。驚くには、値しないことかもしれません。

 

>○東大の学部の中で、最も特異な位置にあるのが、教養学部である。>東大の1~2年生は、教養課程を駒場キャンパスで学び、多くは3年生になって専門課程に進むと本郷キャンパスに進学する。>しかし、一部「後期課程」に進む学生は、駒場に留まる。それが教養学部だ。>蓮實重彦名誉教授や松原隆一郎教授など、メディアで発信する有名教授がいることから、一般的なイメージはいい。>学生からの人気も高い。>東大では、教養課程から専門課程に進む際にテストの点数が参照されるが、教養学部は進学に必要とされる点数が高いのだ。

 

それは、おめでたいことですね。

 

>○入学時の偏差値を引きずる>ところが、教授のヒエラルキーの中では、「枠外」に置かれてきたのだという。>前出の文学部教授が解説する。>「本郷は『東京帝國大学』の延長、駒場は『第一高等学校』の後継 。>そのため教養学部は『別の学校』と見なされ、駒場の教授は『高校の先生+α』と見なされている面がある。

 

駒場は、下と見られた。忖度 (推察) による盲目の判断ですね。

 

>教養学部が戦後に発足した際、本郷で『優秀でない』と見なされた教授が送り込まれたという来歴がいまも影響しているんです。

 

世俗的な ‘上と見るか、下と見るか’ の結果に日本人は、大変敏感ですね。

 

>コンプレックスを抱いている教養学部の先生も多い」'97年から4年間、教養学部で教鞭を取った蓮實重彦名誉教授が東大の総長となったが、それでもその「遺伝子」を取り払うのは難しいという。

 

劣等感・優越感は、なかなか消えませんね。我々は、感情的な民族ですね。我々の国語・日本語には、階称 (言葉遣い) というものがあります。ですから、’上と見るか・下と見るか’ の判断は、始終必要になっています。’人を見損なってはいけない’ ということで、上下判断の習慣を取り払うことは非常に難しいですね。

 

>教養学部と同じく微妙な位置にあるのが、「物性研究所」や「大気海洋研究所」など、「附置研究所」である。>前出の薬学部の元教授が解説する。>「学部に所属しない研究所のことです。>ノーベル賞を出すような研究所もありますが、学部に所属しないのは『王道』ではないとして軽んじられがちな側面もある。予算が縮小される中、研究費を削られやすいのです」

 

‘王道’ という言葉を聞いて行う忖度 (推察) ですね。気分・雰囲気による結果ですね。趣味には、根拠がありません。There is no accounting for tastes. ですから、これは議論になりません。

 

>こうして存在するヒエラルキーのなかで、教授たちはお互いに優越感を抱いたり、卑屈になったりと、人間ドラマを繰り広げているのだ。

 

母語に階称 (言葉遣い) があると、優越感と劣等感に始終煩わせられますね。その煩いが意味のないことであるとは、どうしても結論できない。序列判断に習熟すると、理性判断が消えて無くなるからです。それが、我が民族の深刻な問題です。

 

>東京大学生産技術研究所の沖大幹教授が言う。>「かつて理学部に『自分たちは神と対話している。工学部の人は社会と対話しているよね』と言う教授がいました。>自分たちは崇高な真理と対峙しているが、工学部は俗世を相手にしているというわけです。

 

知的な日本人と言えども、’ものの上下’ には敏感ですね。忖度の効果にも大きく左右されますね。

 

>でも、最近は大学でも社会との対話を求められるようになり、理学部の方々は少し窮屈かもしれません」

 

意味のないことで、窮屈になったり、自由になったり、先生方も忙しいものですね。これも、感受性の問題ですかね。

 

>前出の文学部の現役教授は悲しげにこう語る。>「残念ですが、大学入学時の偏差値で負けている法学部や経済学部の先生には、強くものを言いづらいところがある。

 

我が国においては、偏差値がインテリから下々に至るまで大きな影響を及ぼしていますね。暗記力に力が入ると、創造力が消えて無くなりますね。創造力を働かすのは、暗記力を働かすよりは面倒なものですからね。創造に慣れた人には、これも楽しいものですがね。

 

>実際、法学部は威張っていますしね。>学部の歴史や規模によって序列をつけようとする教授の声も聞きます。

 

何から何まで序列判断で行きますね。単純ではあるが、拙い判断ですね。外に、重要な判断は無いのですか。理性判断 (rational judgment) は、どうですかね。

 

>『薬学部は新しいから地位が低い』といった話もよく出ますから」

 

モノの上下に、理由をつけるのですね。リーズン (理性・理由・適当) を述べて、自己のリーズナブルな答えを提示することは出来ないものですかね。リーズナブルな内容には、外国人も耳を傾けるのですがね。この方針で行くなら、国際人になれます。

 

>幼い頃から受験競争を勝ち抜いてきた極めて優秀な頭脳を持った集団だからこそ、いつまでも順位がつく偏差値的な争いから抜け出せない――それが東大教授の性なのかもしれない。

 

そうですね。上から下まで、序列メンタリティ (考え方) の犠牲者ですね。その原因を明らかにして、その理解を広め、救国運動を展開しなければなりませんね。

>□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 

 

 

.

 

 

 

 

 

 


閲覧数723 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2018/03/26 18:42
公開範囲外部公開
コメント(0)
  • 次項有コメントを送信
    閉じる
    名前 E-Mail
    URL:
■プロフィール
シンちゃんさん
[一言]
明るい未来社会を築こう
■RSSフィード
RSS 1.0 RSS 2.0 Atom 1.0
■このアルバムのURL
https://e-jan.kakegawa-net.jp/blog/blog.php?key=835856