2018年04月17日(火) 

 

 

>◆「平和を祈願すれば平和になる」というのは理想

>「平和を祈願すれば平和になる」というのは理想だ。>現実ではない。

 

言霊の効果の様なものですね。

 

>理想が現実だと思ったら、日本という国は消えてなくなってしまう。

 

理想 (非現実・考え) の内容は、頭の中にある。現実の内容は、頭の外にある。両者は、所在が異なっているから、内容も同じにならない。

 

>国の存続がかかっているのだから、理想と現実は絶対に取り違えてはならない。

 

理想 (非現実) は、見ることが出来ない。現実は、見ることが出来る。非現実を見たら、それは白昼夢である。

 

>ところで、日本が理想と現実を取り違えてしまったものは、他にもある。>たとえば、世界は「平等」を目指しており、それが実現できると思っている人もいる。

 

‘人は全て平等に作られている’ と主張するか。それとも、’人間万事不平等’ とつぶやくか。

 

>あるいは、「人類みな兄弟」に代表されるような「博愛」の概念は世界で共通していると勘違いしている可能性もある。>「自由・平等・博愛」はフランス人が提唱した概念だが、なぜか平和憲法を押し付けられた戦後の日本人が、一番それを信じているように見える。

 

要は信心の問題ですか。神州不滅の様なものか。種本があれば、その暗記も心強い。

 

>まるで世の中のことは何も知らないウブな少女のようだ。>あまりにもマスコミの洗脳が効きすぎて、「それは理想であって現実ではない」と気付かなくなった。

 

理想 (非現実) と現実の区別は、日本人には難しいでしょうね。現実の世界は一つある。非現実の世界は三つある。日本人には、こうした世界観 (world view) が無い。あるのは、現実と非現実の混乱ばかりである。

 

>言うまでもないが、「ありとあらゆるものからの自由」というのはあり得ない。>秩序を乱す自由、ルールを守らない自由、物を破壊する自由、他人を殺す自由が認められたら、社会は一瞬にして無法地帯になる。>秩序を維持するために、常識や社会的規則は自由という概念よりも重要なのである。

 

自由とは、意思の自由のことである。意思は未来時制の文章内容になる。だから、その内容を誰もが理解できる。議論の対象になる。

恣意 (私意・我がまま・身勝手) は、文章にならない。バラバラな単語のままである。文章にならないものは、意味が無い。矛盾を指摘することもできない。恣意の 自由は、’自由のはき違え’ になる。

日本人には意思が無いが、恣意が有る。それで、自己主張というものが出来ない。恣意は、アメリカにおいては、’恥を知れ’ (Shame on you!) との一語で粉砕される。だが、我が国においては忖度 (推測) により生きている。忖度は聞き手の勝手な解釈であるから、発言者には責任が無い。以心伝心として、こうした言語環境をありがたがる人もいるが、無責任な社会であることには変わりない。

司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻語でない文章の重要性を強調している。

「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」

 

>また、欧米先進国のすべての国家が提唱する「平等」という概念も、「スタートが平等であれば素晴らしい」程度のものでしか考えていない。>「結果が平等であるべき」という共産主義的な考えは完全に消え去っている。>結果が平等というのは現実社会にはあり得ないのである。>そんなものを追及したら、スポーツですらも成り立たない。

 

そうですね。存在するのは、最低基準の平等ですね。

 

>「博愛」も理想論であって、現実には成り立たない。>国家は自国の利益を追求するが、その利益はしばしば他国と対立する。>だから、「博愛」などと言っていたら、他国に侵略されて終わりになる。

 

そうですね。難民救済にも限度がありますね。

 

>◆現実主義者にならなければ日本が消滅してしまう

 

足が宙に浮いていたのでは、仕事にならないでしょうね。先の大戦でこの国がひっくり返った時には、責任者も出なかった。とかく、この世は無責任。

 

>つまり、今まで日本人が信じてきたのは、単なる理想論であって、現実論ではなかった。

 

現実世界しかないところに、現実と理想の内容を押し込めると、当然日本人の頭に混乱が起こりますね。

 

>今まではアメリカの傘の下にいて自衛を考えなくても良かったから「軍隊などなくても平和が保てる」という無防備な理想を信じられたのである。

 

空想・妄想の時代でしたね。頭の中の混乱は、今後も続くか。

 

>しかし、時代は変わった。>日本の周辺はどんどん危険になっている。>中国は軍拡に邁進し、韓国は反日に凝り固まり、北朝鮮のような小国ですらも核ミサイルを所有しつつある。

 

そうですね。

 

>いよいよ、日本人は理想を捨て去り、現実と向かい合う時が来ている。

 

理想をあっさり捨てる理由が情けない。おつむの弱さか。

 

>日本を守るためにも、現実的にならなければいけない時がきたのだ。

 

現実直視が必要な時ですね。日本語脳には、非現実を保持する余地が無い。

 

>ところで、簡単に現実主義者になる方法がある。>「自由・平等・博愛」が単なる理想論であるのであれば、これをひっくり返すと現実的な考え方になれる。

 

そうですね。

 

>つまり、現実的になるというのは、こういうことなのである。

>・世の中は、自由ではないと認識する。

 

不自由を常と思えば不足なし、ということですか。これでは江戸時代と同じだな。

 

>・世の中は、平等ではないと認識する。

 

‘人は平等に作られている’ と考える代わりに、’人間万事不平等’ ということですね。夢も希望も無いですね。

 

>・世の中は、博愛ではないと認識する。

 

‘人様に迷惑をかけるな’ と言うことですか。古式ゆかしい礼儀作法か。

 

>「自由・平等・博愛」をひっくり返したものが現実であると考えれば、現実主義者になれる。

 

そうでしょうね。

 

>現実に対応するためには、現実主義者でなければならないのは当然のことであり、そうでなければ世の中から乖離してしまう。

 

‘右翼 (保守) か、左翼 (革新) か’ といった選択のようなものですね。

 

>現状認識をするためには、現実主義者になるしかないのである。

 

処世術一点張りの生活ですか。夢も希望もない生活ですね。

 

>「反日国家とは仲良くなれる」という理想や、「戦争は起きない」という理想や、「平和は実現する」という理想が先にあると、現実に裏切られて現状が受け入れられなくなる。

 

現実直視が必要ですね。

 

>理想はどこかの浮世離れした大学教授の頭の中にだけに存在すればいいのであって、それを現実社会に持ってくるから世の中の捉え方がおかしくなってしまう。

 

現実と非現実の混乱ですね。

 

>日本がおかしくなっているのは、日本人の一部があまりにも強く「理想」に洗脳されてしまい、そこから抜け出せなくなっていることに理由がある。

 

日本人には、世界観が無い。考え (非現実) の世界には、過去・現在・未来の三世界がある。世界観があれば、現実と非現実を脳裏で混乱させることは無い。’時の一致’ (the sequence of tenses) は文法であって、これを間違うと罰点になる。だから、英米人は、世界を厳密に分けて考える。日本語には時制が無いから、日本人はこの種の練習を経験しない。

 

>もう、私たちはのんきに理想主義を唱えている場合ではなくなっている。

 

我々は仏教徒になっても前世・現世・来世の三世界を理解することには成功しませんでしたからね。理想主義も空想・妄想になりますね。

 

>現実主義者にならなければ、日本という国が消滅してしまう。

 

常に理想 (非現実) と現実を並べて考えて、できるだけ理想の方向に近づける努力するのが、人生というものではありませんか。これを中庸の徳というのですかね。

 

>世の中は変わったのだ。>現実と向き合う時間がやってきた。 

 

空理空論の時代は終わりましたね。我々は、考える人にならなければなりませんね。

 

 

 

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閲覧数15 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2018/04/17 22:04
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