2018年04月18日(水) 

 

>差別があっても人として対等な社会(リンク)

>現代日本人は「差別」と聞くと、条件反射的に「いけない」と答えるようです。>これは「パブロフの犬」と同じです。>(中略)>条件反射は、条件を与えると反射的に行動することをいう用語ですが、人には本来、思考力があるはずです。>そうであるなら、条件と反射の間にすき間を空けて、そこに「考える(思考する)」という行為を入れなければならないと思います。

 

そうですね。我々は、考える人になる必要がありますね。

 

>そうでなければ、人ではなく、犬と同じになってしまいます。>実際、差別というのは、本当によくないことといえるものなのでしょうか。

 

さあどうですかね。差別には、正当な差別と不当な差別がありますからね。

 

>日頃から「差別はいけない」と言っている人ほど、上下関係にうるさい方であるように思います。>しかし上下関係こそ、まさに差別そのものです。

 

日本語には、階称 (言葉遣い) というものがあります。ですから、’上と見るか・下とみるか’ の判断は、会話の時にも必要になります。’人を見損なってはいけない’ という想いは、日本人にとって強迫観念の域にまで達しています。そうでなければ、日本人は、礼儀正しい人にはなれません。なぜならば、日本人の礼儀作法は、序列作法になっているからです。序列なきところに、礼儀なしです。

 

>つまり言っていることと、やっていることが矛盾しています。>人はひとりでは生きていくことができません。>だから人と人とで社会を営みます。>その社会には秩序が必要です。>秩序のためには、上下関係や差別は不可欠であり必要です。>社会は差別によって成り立っているのです。>ということは差別を否定することは、実は社会を否定していることになります。

 

そうですね。

 

> (中略)

>差別があるということと、人が対等であることは矛盾しません。>決裁印は部長の所轄ですが、成果をあげるのは平社員の仕事です。>決裁権は部長にあっても、仕事で成果を上げるのは「俺の仕事」なのです。>差別があっても、人は成長しようと努力することで、人として対等に生きることができるのです。

 

そうですね。

 

>「差別のない平等な社会を」などという標語もあります。>「平等な社会」と言うくらいですから、これは「法のもとの平等」を意味しているとわかります。>しかし法は、差別をしているものです。>たとえば弁護士特権、裁判官特権、議員特権のようなものが、現に存在します。

 

特権階級ですね。

 

>日本国憲法自体、大臣には特別な権限を与えています。>その権限は一般の国民が持てるものではありません。>憲法は人を差別することで成り立っています。

 

そうですね。

 

>ということは「差別のない平等な社会」などというものは、その言葉自体がインチキだということです。>よく問題になる外国人についての差別も、当然あってしかるべきものです。>それどころか在日特権なるものが現に存在しているということは、在日外国人のほうが、生粋の日本人に比べて差別的好待遇を与えられているということです。

 

そうですね。

 

>「差別はいけない」と声を大にして主張している人たちは、主に在日外国人たちであるといわれています。>彼らは、自分たちにとって都合の良い差別はむしろ積極的にしてほしいけれど、都合の悪い差別はいけないと言っているのです。

 

それは、利己主義 (egotism) ですね。

 

>そのようなことを日本語では不条理と言います。>私達日本人は、「差別は人が社会を営むにあたって必要なものである」という、ごくあたりまえの常識を、あらためて取り戻す必要があると思います。

 

序列社会においては、世俗の上下ばかりが発達して、責任がおろそかになっていますね。先の大戦でこの国がひっくり返った時にも、責任者は出なかった。とかく、この世は無責任。

意思のない人には責任が無い。ちょうど、死刑執行人のようなもので、人は死んでも彼らは殺人罪には問われない。彼らには、殺意というものが無いからである。

日本人には、意思 (will) が無い。意思は、未来時制の文章内容であるが、日本語文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思が無い。優柔不断・意志薄弱に見える。人間の序列はあっても、責任の序列は存在しない。だから、とかくこの世は無責任となっている。

上位の者の片言隻句 (小言・片言・独り言) と下位の者の忖度 (推察) により仕事をしている。忖度は、聞き手の勝手な解釈であるから、発言者には責任が無い。日本人の社会は、どこまで行っても責任の所在は明らかにならない。意思が無いということは、責任が無いということである。責任感というものがさらさら無い。

 

>必要なことは「差別のない平等な社会」ではなく、「差別があっても人として対等な社会」です。

 

‘差別のない’ ではなくて、’不当差別のない’ と表現するのが正確でしょう。何が不当であるかについては、一つ一つにそのリーズン (理性・理由・適当) が必要ですね。リーズンのないものは、アンリーズナブル (不条理) であり、容認されることは無いでしょう。ですから、そうした差別は存続します。

 

 

.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


閲覧数763 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2018/04/18 10:33
公開範囲外部公開
コメント(0)
  • 次項有コメントを送信
    閉じる
    名前 E-Mail
    URL:
■プロフィール
シンちゃんさん
[一言]
明るい未来社会を築こう
■RSSフィード
RSS 1.0 RSS 2.0 Atom 1.0
■このアルバムのURL
https://e-jan.kakegawa-net.jp/blog/blog.php?key=836171