>――――――――――――――――――――――――――――――――― >学校へは行く必要がないのじゃない。>行ってはいけないのだ。
極論の様ですね。
>ダメな理由をいくつか挙げてみようか。> 1学歴が社会を壊す>学校は基本的に成績でふるい分ける。>成績は基本テストで評価する。>素行や、人間性でも評価すると言うが、そういうものは個人(ほとんど場合先生)の主観であるから、テストのほうがまだ平等だと言えないことはない。
序列判定は、同次元で平等でなくてはなりませんね。
>テストはたまたま勉強してきたところが出ることもある。>大学受験にしてもしかりだ。>テストの問題は先生や教科書をいかにそのまま覚えているかで評価すること。
そのまま暗記が大切ですね。創造・創作は必要なしですね。
>•歌がうまい>•冗談がうまい、>•絵がうまい、>•サッカーがうまい> などは点数にならないので評価できないので、評価しない。
そうですね。個性的な内容は、同次元序列の比較に馴染みませんね。
>評価されるのは基本記憶力だけである。
そういうことになりますね。
>記憶力も人間の持つ一つの能力ではある。>でも、百もある能力のうちの一つでしかない。>事業をやっていると役に立つのは情熱と洞察力だ。記憶力は必要ない。
そうでしょうかね。情熱・洞察力など高次元の事柄は、比較するのが難しいですね。
>覚えておかないといけないことはコンピュータにやらせた方が効率的だ。
そういうことも多いですね。
>にもかかわらず人を評価するのに記憶力だけしかないから情熱も洞察力もない記憶力しかとりえのない人間が大学に行き、官庁や一流企業に入社する。>そしてそういうやつが高級官僚や大企業の社長、銀行の頭取になる。
我が国の様な序列社会においては、自然の成り行きでしょうかね。
>成績のいいやつは基本、発想力に欠けていることが多い。 (すべてとは言わないが)
学校は、独創を評価するシステムにはなっていないでしょうね。
>そういう人間は独創性のある人間を理解できないからとても嫌う。
ありきたりであることが、周囲の者を安心させるのでしょうね。独創の上下判断は難しいですね。
>そして、保身に走り、周囲に似たような人間を集めて満足する。
‘類は友を呼ぶ’ ということですかね。
>これが日本を崩壊させているのだ。
停滞が禍になり、日本が崩壊するのですね。
>------------------------------ (略) >ユニークで面白い製品が生まれなくなったのは、やはり企業風土が変質したからだとの見立てだ。>「上から言われたことをコツコツやっているだけでは駄目なんです。天の声の影響が末端まで広がっているというのが我々の認識です」。>そもそもこの認識が間違えている。
没個性・月並みが問題ですね。ユニークで面白い製品を作るのには個性・独創が必要ですね。
>上も下も知的能力の優れた人材で固めていることが原因なのだ。
学力テストの結果をもとにして、人間が序列を作っているのですね。序列社会の典型ですね。個性は各人各様であるから、序列社会の形成に基準として役立ちませんね。
>ユニークな製品が生まれないのは、ユニークを抑圧する学校教育で優秀な成績を上げた知的な人たちが会社に充満していること、そのこと自体に問題があるのだ。
そうですね。学校は、同次元での序列競争をさせるので、没個性の励みを助長しますね。個性を抑圧されて、切って揃えられたような能力の人たちが会社に充満していますね。
>端的に言えば「学卒採用試験制度」そのものに問題があるのだ。>学校が現在の成績重視で、企業も学歴と入社試験でふるいわけている限り日本の将来は見えてこない。
そうでしょうね。序列社会の弊害ですね。’上と見るか、下とみるか’ の習慣は、なかなか廃れそうにありませんね。 日本語には、階称 (言葉遣い) というものがあります。ですから、上下判断は日本語話者にはなくてはならないものになっています。’人を見損なってはいけない’ という想いは、私達の強迫観念になっています。そうでなくては、我々は礼儀正しい日本人にはなれません。 ですから、私達は序列社会の中の序列人間です。
>学校があるから、子どもと将来の日本は不幸になるのだ。
それは、ちょっと言い過ぎではありませんか。学校の利用方法に問題があるのではないでしょうか。我々が上下判断に固執しなければ、子供も未来の日本も幸福になるでしょう。
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