2018年06月02日(土) 

 

>日大アメフト部員で、危険タックルを起こした部員が記者会見。>同情を集めました。

 

そうでしたね。わが国民の同病相哀れむ形式ですね。

 

>私もあの映像を見てしまうと、彼に対して抱いていた「とんでもない奴」というようなイメージが消え去って、かわいそうになってしまいました。

 

彼は、大和民族の典型ということになりますかね。

 

>●サラリーマン社会でも、運動部でも彼(本人名は書かないようにします)が同情される理由は、日大アメフト部事件が、日本社会の縮図であり、日本のサラリーマン社会の縮図であり、日本の運動部の縮図であるから、ではないかと思います。

 

そうでしょうね。日本人のメンタリティ (考え方) の社会に対する禍の縮図でしょうね。

 

>下に無理難題をふっかけ、何か問題が生じたら知らんぷり。>そういう管理職やトップ、多いですよね。

 

多いですね。これは、昔からの伝統ですね。日本人には、意思がない。意思のない人には、打開策の主導権がない。だから、責任を負わされた人には義務ばかりが残り、牛馬の苦しみを味わうことになる。

肥田喜左衛門の著した <下田の歴史と史跡> には、責任に関する下のような事柄が記されています。

徳川5代将軍の治世、佐土原藩の御手船・日向丸は、江戸城西本丸の普請用として献上の栂 (つが) 材を積んで江戸に向かった。遠州灘で台風のため遭難、家臣の宰領達は自ら責を負って船と船員達を助けようと決意し、やむをえず御用材を海に投げ捨て、危うく船は転覆を免れ、下田港に漂着した。島津家の宰領河越太兵衛、河越久兵衛、成田小左衛は荷打ちの責を負い切腹する。これを知って船頭の権三郎も追腹を切り、ついで乗員の一同も、生きて帰るわけにはいかないと全員腹をかき切って果てた。この中には僅か15歳の見習い乗子も加わっている。鮮血に染まった真紅の遺体がつぎつぎに陸揚げされたときは、町の人々も顔色を失ったという。16人の遺体は、下田奉行所によって大安寺裏山で火葬され、同寺に手厚く葬られた。遺族の人たちにはこの切腹に免じて咎めはなかったが、切腹した乗組員の死後の帰葬は許されなかった。(引用終り)

 

>日本で学び、日本で仕事をしてきた日本人なら、多かれ少なかれ、似たような境遇に自分が置かれたり、自分以外の誰かが置かれているのを見た経験があると思います。

 

そうですね。日本病とでも呼ぶべきものですかね。

 

>ネット上ではすでに指摘されていることですが、モリカケ問題も、同じ構図です。>日大アメフト部の問題が「安倍のせい」とはさすがに思いませんが、構図としては同じ。

 

そうですね。わが国には、責任者をとらえることができない構造が存在するからです。とかく、この世は無責任ということですか。

 

>現場にムリをさせ、不都合が発覚したら「俺は何も言ってない、知らない」。

 

そうですね。わが国の人は、以心伝心ですからね。上位の者は本当に ‘俺は何も言っていない’ のです。だから、責任はないのです。とかく、この世は無責任ということです。抜け道は、すでに最初からできている。

 

>安部首相が悪いとかそういう直接的な問題ではなく、上は首相官邸から下は大学の運動部まで、いや、もっと下の少年野球クラブまで、同じような構図が、日本中至る所にあるのでしょう。

 

そうですね、日本語による禍は上層・下層を区別しませんからね。

 

>で、日大の彼は、その構図の犠牲者の一人ではないか。>彼は「危険タックル事件」では加害者ですが、「日本の組織」という大きな構図で見たら、被害者なのでしょう。>だから同情されたわけです。

 

日本人には、意思がない。意思のない人には、加害者意識もない。罪の意識もない。責任もない。あるのは、被害者意識ばかりである。すると、犠牲者ばかりが存在することになる。何かおかしいですね。

意思は、未来時制の文章内容である。ところが、日本語文法には時制というものがない。だから、日本語には未来時制もない。日本人には意思がない。

日本人には意思 (will) はないが、恣意 (self-will) がある。恣意 (私意・わがまま・身勝手) は、ばらばらな単語 (片言・小言・独り言) のまま存在し文章ならないから、意味もない。矛盾も指摘できない。議論にもならない。日本人は、恣意を鍛えて意地・根性・大和魂にする。この方式を、努力の突破口のように考えている。だから、無茶なことが起こる。’危険タックル’ もその一例である。

自由とは、意思の自由のことである。意思がなければ、自由にも意味がない。恣意の自由は、どこの国でも認められない。恣意の自由は、’自由のはき違え’ となるからである。かくして、わが国では、’不自由を常と思えば不足なし’ の状態が出現する。この現状が人々の同情を呼んでいる。

 

>●この構図から逃げるには日本の組織社会には、こうした「下に危ない仕事をやらせ、いざとなったら上が逃げる」という構図が、至る所にあります。

 

そうですね。この国がひっくり返った時にも、責任者は出なかった。

 

>もちろん、そんなひどい人ばかりではなく、まともな管理職や、尊敬すべきトップもたくさんいます。

 

そういう人は、目立ちませんね。’声なき民’ になっていますね。自己の意思を示さない人は、傍観者にとどまります。力にならない。

 

>しかし、比率としては、尊敬すべき人がトップにいる確率は、あまり高くないと思います。

 

そうですね。信頼できない人が多いですね。’民信なくば立たず’ です。(論語・顔淵) わが国の民度が低い。

 

>こういう悪弊はなくなって欲しいと思います。

 

そうですね。ぜひ、そうしなければなりませんね。意思のあるところには、方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way.

 

>でも、日本では古くからある問題ですし、日本に限った話ではないような気もします。

 

いろいろな国に、いろいろなやり方があるのでしょうね。

 

>ですから、簡単になくなるとは思えません。

 

複雑でしょうね。

 

>せめて、人の上に立つ人の一人でも多くが「部下に無理難題を押しつけない」ということについて、気をつけてほしい。

 

他力本願・神頼みですか。鼬ごっこでしょうね。

 

>そう切実に、願います。 

 

原因療法が必要ですね。原因究明がその始まりになります。頑張りましょう。

 

 

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閲覧数796 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2018/06/02 22:27
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