>日本がアメリカの許諾抜きに重要な外交政策を決定したのは1972年の日中共同声明でした。>それを実行した田中角栄に対して、当時のキッシンジャー国務長官は「絶対に許さない」と公言しました。
日本の一人歩きは許されませんね。 ‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’ (あるアメリカの国務長官)
>その後、田中どのようなペナルティが課されたかは史実が明らかにしています。
彼は有罪・脳卒中ですね。
>田中以後、アメリカの許諾を得ないで日本が独自外交を展開した事例は一つもありません。
日本人は、‘自発性のないことは得策である’ と考えているかもしれませんね。
>すべての重要政策はアメリカの指示に従うか、アメリカの許諾を得てから決定されている。
意思がなければ、責任もない。とかく、この世は無責任。
>アメリカの指示してくる政策はあくまでアメリカの国益を最大化するためのものですから、日本と利益相反するものもある。>けれども、多くはそれなりに合理的なものだった。>だから、言うことを聞いていれば、日々のルーティンはちゃんと回ってゆく。
アメリカに離反すると、手痛い目に合うからですね。
>そうやって対米従属に安住しているうちに、日本人は自力で「日本の国益を最大化するためには、どういう政策が好ましいのか?」という問いを発する習慣そのものを失ってしまった。
アメリカに追従するよりほかに考えようがないのでしょう。
>どうもこれはアメリカがいやがりそうだと思うと、そんな政策は仔細に検討してみても、どこかの段階で「ダメだ」ということになるに決まっている。>だったら、はじめからそんな政策について考えるだけ時間の無駄である。
そうですね。無哲学・能天気では、致し方ありませんね。独自の国家目標は立てらません。
>アメリカが必ず呑むはずの政策だけを選択的に吟味するという習慣が日本のエスタブリッシュメントに定着してしまった。
日本人には議論ができないのですから、裏口を探るよりほかに手はないでしょうね。
>日本人はもう「衆知を集めて最適解を探す」という思考習慣を失ってしまった。
太平洋戦争なども、衆知を集めて最適解を探した結果でしょうね。最適解もあてにならない。
>アメリカの意向を忖度することに長けた人間たちだけが政治家も官僚もビジネスマンも学者もジャーナリストも指導層を独占するようになった。
忖度は、日本社会の柱ですね。
>これがこの20年、30年の間に日本社会に起きた劇的な変化です。
劇的な変化で姿・形は変わっても、変わらぬものは日本人のメンタリティ (考え方) ですね。
>沖縄のことは分かりませんけれども、少なくとも東京ではそうです。
沖縄人も忖度を求めているでしょうね。
>アメリカの国益を正確に忖度できる能力だけが高く評価される。>アメリカの意向を忖度できる人間の前にだけキャリアパスが広々と開けている。>今の日本のキャリアパスというのは、もうそれしかないんです。
忖度を評価するという日本社会の特質によるものですね。相手のアメリカには、忖度人間はいない。
>アメリカに留学して、アメリカで学位を取り、アメリカの要路に友人知人がおり、アメリカの意向が知れる人間、そういう人間でないと、政治の世界でも、経済の世界でも、学術の世界でさえ、もう上層にはたどりつけない。
肩書がものをいう序列社会の特徴ですね。序列社会の実力とは、忖度 (推察) による力のことかな。
>そういう仕組みになってしまった。
伝統的なものの再現ですね。
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