2018年07月08日(日) 

 

>安倍さん自身の脳内には政治的妄想としての「あるべき国家像」があると思います。

 

安倍さんは、アニメ・漫画大国の首相ですからね。政治哲学がなくて、政治妄想があるでしょうね。

 

>それは「戦争ができる国」です。>いつでも、誰とでも戦争ができる国になりたい、と。そう考えている。

 

それは、昔の侍のようなものか。高貴な人の考えではないようですね。

 

>彼の場合は「国家主権の回復」というのは「戦争ができる国になる」ということと同義なのです。

 

そうかもしれませんね。

 

>今の日本がアメリカの従属国で、主権国家ではないということは、安倍首相にも分かっている。>でも、彼は主権がない理由は「戦争ができない」からだと考えている。>それは違いますよね。

 

そうですね。考えがあべこべですね。

 

>主権国家じゃないのは端的にアメリカの属国だからですよ。>だから、どうやってアメリカの属国から、日本の主権を回復していくのかと考えるべきなのに、彼はそういうふうには考えない。

 

そうですね。彼には、それが無理でしょうね。意思のあるところに方法 (仕方) がある。日本人には、意思がない。意思のない人には、仕方がない。独立・自尊は考えられない。

 

>日本がアメリカの属国だから主権がないという事実からは眼を反らす。

 

他に属することしか考えられない。これは、やくざの子分と同じ考え方ですね。これは、アメリカとの協調関係とは違いますね。

 

>日本が国際社会で侮られているのは「戦争ができない国」だからであり、それは平和憲法や日教組の偏向教育のせいだと思っている。

 

喧嘩をしたがる子供のようなものですね。すぐ、他人のせいにする。

 

>国内的な要因で、左翼のせいで「戦争ができない国」にとどまっていると思っている。

 

左翼を弾圧して、軍国主義の道を猛進したこともある。夢よ悪夢よ、もう一度ですか。

 

>だから、国内的要因を除去して、何が何でも「戦争ができる国」になりたい。

 

それでは、’キチガイに刃物’になる危険性がありますね。何が何でもとは、恣意的ですね。

 

>安倍首相にとって幸運なことに、そこに安全保障環境の変化が起きた。>アメリカの「撤収」です。>チャンスがめぐってきた。>アメリカは誰かに自分たちのやってきた「汚れ仕事」の肩代わりをしてもらいたがっている。

 

汚れ仕事は、国際的に印象が悪い。恥の文化が泣いている。

 

>中東に地上部隊を派遣して、治安維持や施設警備をする仕事を誰かに押しつけたい。>この窮地に安倍首相は「自衛隊を出しましょう」と言い出した。>アメリカ兵士の代わりに自衛隊員が死にます。

 

‘名誉の戦死’の復活ですね。

 

>その代償に「戦争ができる国」になる許可をくれ、と。>アメリカもこれは断れる話ではありません。>ただし、日本に軍事的フリーハンドを与える気はありません。

 

‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’  (あるアメリカの国務長官)

日本人には、哲学がない。それで、哲学 (非現実) の代わりに処世術 (現実) を使うことになるが、すると非現実の内容は、妄想・でたらめとなり対外的に不信を買うことになる。日本人の不徳の致すところになる。

 

>100%アメリカの指揮下にある場合に限り軍事行動を許すというのがアメリカの出した条件です。

 

自衛隊員は、アメリカが金を支払わないアメリカの傭兵隊員のようなものか。光栄というべきなのか。

 

>つまり、「徹底的な対米従属を約束すれば、戦争をさせてやる」とアメリカは言ってきた。>そして、安倍首相はそれを丸呑みした。 

 

日本人には意思がない。だから、従属の約束は難しくない。それしかない。

 

>一体彼は何と何を交換したつもりなんでしょう。>戦後日本の国家戦略において、対米従属の代償は対米自立でした。

 

しかし、意思のない人間に自立の達成は無理ですね。

 

>でも、今度は違います。>対米従属の見返りは「アメリカのために戦争ができる権利。アメリカのために自衛隊員が殺される権利」です。>こんな倒錯的な取り引きが成り立つのは、安倍首相の頭の中では「戦争ができる国」になることが最終目標に設定されているからです。

 

彼は、無哲学・能天気のようですね。’我々はどこから来たか’, ‘我々は何者であるか’, ‘我々はどこに行くのか’ 等の命題を安倍首相は十分に考察する必要がありますね。

 

>だから、その目標が実現されるなら、どんな交換条件にも応じるつもりでいる。

 

恣意的な目標は、現実的ですね。だが、むなしい。

 

>「戦争ができる国」というのは実際には国際政治の場面でどういうふうにふるまうのかを考えた上で選択された国家像ではありません。>だって、日本はアメリカの指揮下でしか戦争をしないのですから、戦争が「外交の延長」になることはありえない。>戦争を外交のカードに使うのはアメリカであって、日本には外交カードを切る権利はない。

 

そうですね。日本人は、もともと政治音痴ですからね。

 

>では、いったい「戦争ができる国」になることで安倍首相は何を実現したいのか?>さしあたりは「非民主的国家」の実現です。>「戦争ができる国になって、アメリカのために自衛隊員が死ぬ」ことの代償として、安倍首相はアメリカから「日本が非民主的な国になる許可」を引き出すつもりでいる。

 

個人個人に哲学は必要である。Everyone needs a philosophy. 日本人は、哲学がない。だから、民主主義は衆愚政治になりやすい。烏合の衆に悲劇が待ち受けている。

 

>具体的には「東京裁判は間違っていた」と公言する権利、「ポツダム宣言は受け容れ難い」と公言する権利、「日本国憲法はアメリカの押しつけた醜悪な憲法だ」と公言する権利、「日本国民には民主制も市民的自由も要らない」と公言する権利、それと引き替えなら「自衛隊員を差し出す」つもりでいる。

 

“信念”が社会・政治的状況によって変わり、”リアリティ”も操作できるものであるとすれば、多種多様な虚構 (フィクション)を維持するのはかなり容易になる。(カレル・ヴァン・ウォルフレン氏)

 

>安倍首相はある意味でアメリカの「足元」を見ているのです。

 

それは、日本人の浅知恵ですね。

 

>アメリカは世界に「自由と民主主義の理想」を宣布したがる伝道的国家であるけれど、それと同時に「自分さえよければそれでいい」という利己主義的な国家でもある。

 

世界中を良くすることは、言うは易くして、実は難しい。

 

>今のアメリカは「自分さえよければそれでいい」という方向に、共和党的・モンロー主義的傾向に傾きつつある。

 

いらぬ苦労は、したくない。

 

>ですから、日本がアメリカの統治理念を否定しようと、東京裁判史観を否定しようと、非民主的で強権的な国家システムを採用しようと、日本人がアメリカ人の代わりにアメリカのする戦争で死んでくれるという「実利」の前にはいやでも譲歩する。>安倍首相はそう思っている。

 

それは、安倍首相の思い違いではないですか。アメリカ人は、実利 (現実) の前にはどのような内容 (非現実) をも容認するような人間ではないと思いますがね。彼のは、日本式の間違いでしょう。アメリカ人には、彼らの哲学がある。彼らの歴史には、彼らの歴史哲学がある。そうでなければ、歴史書は書けない。彼らは、日本人と同じような能天気になってしまう。

 

 

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閲覧数416 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2018/07/08 23:54
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