2018年07月23日(月) 

 

 

 

 

>何をエネルギーにして人間は行動を起こすのか、社会を変えようとする行動を起こすのか。>そのことがマルクスの思想では明らかになっていない。

 

そうでしょうね。彼は、社会学者ですからね。言語学者では、ありませんからね。

 

>一部の主張を正統化するため、あるいは部分的に整合させるためにつくられた思想や宗教という「体系」は、結局一部の人たちの心を捉えるだけの力しか持ちえず、真に社会を動かす力には成りえない、ということのようです。>以下、21紀社会デザイン研究・「哲学的思惟について」内山節(リンク)より

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>マルクスは社会主義社会の必要性やそのための革命を主張した思想家である。

 

そうですね。

 

>ところが最終的に彼の思想が集約されていく『資本論』を読んでも、なぜ人間は革命を起こす可能性をもっているのかがわからない。

 

それは、残念なことですね。

 

>資本主義に矛盾があるということまでは、彼の理論はきわめて精密なのだけれど、しかし矛盾があるからといって革命が起きるとはかぎらない。

 

そうですね。お変わりのないことが、何よりのことですからね。これは天下泰平の証です。暴動 (打ちこわし) は発生しても、革命は起こらない。目指す理想の世界は、日本人の脳裏には存在しないからである。

 

>現に今日の世界はさまざまな矛盾をかかえているが、革命を起こそうという人々は決して多くはない。

 

そうですね。様々な矛盾を解消する世界を考えつくのは、難しいですからね。

 

>社会に矛盾があるということと人間が行動を起こすということは、単純につながってはいないのである。

 

その通りですね。矛盾があればすぐさま行動に出るという短絡的な心理構造にはなっていませんね。

 

>とすると何をエネルギーにして人間は行動を起こすのか。

 

それは、考え (非現実) と意思によるものですね。非現実の内容を現実の内容に変換できる道筋は、革命に通じています。

 

>そのことがマルクスの思想では明らかになっていない。

 

それは、残念なことですね。

 

>革命を主張しても、社会の矛盾という革命の客観的根拠は明らかにされても、革命の主体的根拠は解かれていないのである。

 

社会の矛盾の存在しない世界を作ればよい。構想と意思を持つ西洋人には、主体的な根拠が存在します。

 

>この点についていえば、当時マルクスと対立していた非マルクス系のさまざまな社会主義者たちの方が、この問題に言及していた。 >19世紀のヨーロッパには、さまざまな社会主義の潮流が存在していたのである。

>問題は人間はなぜ社会を変えようとする行動を起こすのか、である。

 

それは、彼らの脳裏に ‘あるべき姿’ という内容が存在するからでしょう。

 

>この課題を解くには、人間の存在とは何かが解き明かされなければならない。

 

我々の言語に時制 (tense) というものがあるならば、脳裏に浮かぶ内容 (考え) は三世界 (過去・現在・未来) として存在することになります。

さすれば、我々には ’来るべき’ 世界へ移行する準備が必要となります。これは、当然のことであります。

 

>人間の存在のなかに、なぜ行動への衝動が生じるのかである。

 

‘我々は、どこから来たか’ ・ ‘我々は、何者であるか’ ・ ‘我々は、どこに行くのか’ を哲学的命題として考えたら、この課題は解き明かされるでしょうね。

我々は、’あるべき姿’ の世界に行かなければならないことになる。

西洋人には、意思がある。意思のあるところには、方法 (仕方) がある。Where there’s a will,  there’s a way. だから、行動への衝撃が生じます。

 

(略)

 

 

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閲覧数547 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2018/07/23 10:47
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