>■責任を追及しない日本社会 > 國分:白井君が『国体論――菊と星条旗』を書いたいくつかの出発点のひとつは、なぜ安倍政権は潰れないのかという素朴な疑問だと思います。>安倍政権はひどい政策をずっと続けているのに、なぜか長きにわたって政権を維持している。
国民は、安倍瀬政権は他の政権よりも良さそうだからと考えているからでしょう。代替えがなければ、打倒は失敗するでしょうね。
>ここには合理的には説明のつかない力が働いており、私たちはそれに従わされている。
日本人は政治音痴ですから、合理はないでしょうね。 ‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’ (あるアメリカの国務長官)
>白井君はそこに「国体」という構造を見いだしているのだと思います。
国体は、人間序列のことですね。
>この国体を代表するのは、戦前の日本では天皇です。
わが国の人間序列の頂点に立つ人は天皇ですね。
>しかし、敗戦と占領期を経て、アメリカが国体を代表するようになる。>『国体論』ではフルモデルチェンジという言い方がされていますが、日本がアメリカに負けたことで、国体の頂点は菊から星条旗に変わったものの、人々が国体に従うという構造に変化はなかった。>そう指摘しているわけですね。
そうでしょうね。日本語に基づく人間序列には変化がなかったですね。
>白井:そうです。「戦後の国体」となった対米従属構造を維持することで、権力を保持しているのが安倍政権に代表される日本の支配層です。
従属構造を人間序列で補強すれば、その安定性は堅固なものになります。
>國分:そこで疑問として残るのは、なぜ日本はアメリカにきちんと負けられなかったのかということなんです。
日本人は、ドライに割り切る精神状態にはなかったようですね。明治期の教師たちは、アメリカ人であった。
>僕はここがポイントだと思っているのですが、アメリカと戦争して負けたわけですから、本来ならば「いつかアメリカを倒してやるぞ」となるはずです。>ところが、日本はそうはならなかった。
日本人は、アメリカ人の底力を知っていたのでしょう。
>それどころか、マッカーサーがアメリカに帰国するときには、マッカーサーとの別れを惜しむ声まで上がった。>これはやはりきちんと負けなかったために起こったことだと思うんです。
それは、弁慶が牛若丸に負けた時のようなものでしょう。いったん勝負で序列関係が確立すれば、あとは親密ムードが続きます。屈辱よりも美談が残る。
>白井:戦後直後から今に至るまで、日本人はアメリカに負けたという事実から目をそらそうとしてきました。
不名誉なことからは、なるたけ目をそらしたいですね。そのために言い換えはある。
>8月15日を「敗戦の日」ではなく、「終戦記念日」と呼んでごまかしていることから始まって、戦後の日本は「敗戦の否認」を続け、アメリカに従属していることを直視しないでいる。
屈辱よりも美談を好みますね。事実よりも気分・雰囲気を優先させています。
>でも、そうした支配を否認する日本人の心理的な構造は、戦後に始まったものではない。
そうですね。このような美談は、昔から語り継がれています。
>わかってしまえば、簡単なことです。
そうですね。わかるまでが難しい。コロンブスの卵のようなものです。
>戦前の日本人には、疑うことなく「国体」に付き従うというマインドがインストールされていた。
そうですね。日本人は、日本語を使って考える。日本語には、階称 (言葉遣い) というものがある。日本語で話す場合には、’上とみるか・下とみるか’ の判断は欠かせない。 それで、人間序列のメンタリティ (考え方) ができている。これが、わが国の ’国体’ の基礎となっている。序列メンタリティは、皇民化教育で強化されました。
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