2018年08月16日(木) 

 

 

 

>かつての農業時代から、工業時代に変化していったようにまた新たな生活様式が必要だ。

 

そうですね。

 

>社会が工業支配から意識生産へと変化してきているのにも関わらずに、企業や法律の枠組みが変わっていかないのは社会をリードしていくべき階級の人たちが見定めるべき未来が見えていないからであろう。

 

日本人には、未来は見えませんね。

現実は、一つの世界である。

非現実 (考え) は、三つの世界からなる。過去・現在・未来の三世界である。

現実は、見ることができる。

非現実は、見ることができない。ただの話である。文章内容なので、その理解が必要である。

非現実を文章内容として表現するには、文法に、時制 (tense) というものが必要である。時制は、英語にあって日本語にはない。だから、日本人には、未来の内容は語れない。考えることも難しい。だから、未来の世界は日本人にとって想定外となっている。

 

>教育にしても同様の事が言える。

>学歴社会は依然として残っていて、そこに収束させていっているにも関わらず、ゆとり教育で「個性」を尊重しようとして失敗に終わった。>教育において何が大事かを見誤った典型的な例ではないか。

 

そうですね。個性ある人間の完成が教育の目的ですね。

学歴は、同次元での序列争いが原則です。同次元の励みは、必然的に没個性の結果を生み出します。

 

>私は、画一的な大衆主義的学校システムを変える必要があるのではないかと思う。

 

そうですね。同次元序列の争いは廃止すべきですね。

 

>例えば日本には「飛び級制度」がない。>勉強が出来る子供も出来ない子供も同じ授業を受けるというあまりに無為で社会の中で没個性化させるためのトレーニングであるようにしか見えない。

 

あくまでもマイペイスの勉強が良いですね。

 

>また、大学の存在にも疑問を持つ。>受験戦争は大学合格を目指して勉強するが、一旦合格してしまうと大学生活においてどれだけ堕落していようとも卒業さえすれば「○○大学卒業」というある種のレッテルを貼られ、それをバックボーンにして社会人としての生活を送る人も多い。

 

序列社会におけるレッテル欲しさの励みですからね。わが国の大学は、英米の高等教育機関とは無縁の存在ですから、堕落は避けられません。わが国の大学では、退屈男・退屈女が大量に作られています。

 

>「テスト」という人格無視の人選方法も手っ取り早いが、もはや有効ではない。

 

それに代わるものがないのが実情ですね。

 

>生産力の人材確保としての学校のあり方は現在ではもう役には立たない。

 

現在のわが国は、人手不足である。外国人の手を借りたがっている。だが、頭脳不足といった話は聞いたことがない。頭脳労働は日本人には適さないのではないか。考えの内容は、一人一人違うから個性的であるのですがね。

 

>教室単位の教育ではなく個人単位の教育、大学合格のための教育ではなく、自分の中の「意識」と「存在」が一体となり、人生を有意義かつ、情熱的に過ごすための教育制度が必要ではないだろうか。

 

そうですね。

意思は、未来時制の文章内容である。
英文法には、時制 (tense) というものがあるので、英米人には意思がある。
日本語文法には時制がないので、日本人には意思がない。だから、日本人は優柔不断・意志薄弱に見える。 

意思がなくては、主体的な行動がとれない。我々は、英語と日本語の両方を学んで、意思ある行動をする人間になろう。国際社会において指導性を発揮しよう。

 

 

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閲覧数287 カテゴリアルバム コメント0 投稿日時2018/08/16 08:44
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